赤生津・安部氏の出自を尋ねて

衣川安倍氏から葛西家臣、没落後の帰農、そして伊達家臣へ再起を果した赤萩・赤生津安部一族を追っています

5代兵部所蔵系図はなぜ発見にあたるか。「磐井郡東山赤生津邑畑家舗安部家之系図」は切支丹調査で藩に没収されていた

【原本に近い系図を所有していた子孫】 長根屋敷の西隣の下屋敷安部家が所有していたが、古文書の内容までは把握していなかったようである。及川照男氏にきくと、所有していたのは下屋敷でなく長根屋敷南側の安部寿平氏ではないか。戦後まで屋敷はあったがい…

【発見した系図証明その1】由緒にある初代安部肥前(≒小次郎)が造立した愛宕堂跡と住居跡

生母青木74−1 生母青木地内(畑屋敷から東に約600m)【愛宕堂跡】 18代嘉雄(2009没)の弟及川照男氏に聞くと、先祖から代々、正月などに当主が参拝に行く場所であった。祠周辺には、杉林があったが、20年ほど前に伐採されたという。土地周辺に居住の鈴…

4代将監三男下屋敷から原本安部系図発見。葛西17代まで家臣と明記。白鳥舘住人である。なぞは更に深まる

安倍家系図 磐井東山赤生津邑畑家舗安倍家之系図 虫食古損二附書写叓 安倍頼時之七男比與鳥七郎則任衣川厨川西城落城ㇾ而之没降人成伊澤白鳥邑午(手)類之舘住居先室厨川之堀沈没(俊)室ヲ女取テ其子孫同所良久其後(俊)鎮守府将軍藤原之清衡ヨリ三代使エ…

第7報 葛西家臣安部小次郎と赤生津安部初代が同一人物であることの再検証(初稿)

「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第7報 葛西家臣安部小次郎と赤生津安部初代が同一人物であることの再検証 岩手県南史談会 高 橋 一 彦 1 概要 豊臣秀吉の奥州仕置による葛西没落後に、葛西旧臣から伊達家の家臣となった一族は多い。百石以上の家臣を網…

赤萩下屋敷初代安部外記之助1590年(天正18)7月10日没の墓碑、赤生津安部へのつながり

▼初代安部外記之助1590年(天正18)7月10日没 ▼2代 上野1635年(慶長17年)没 ▼3代 大学1635年(寛永12年)没 弟は「赤生津初代安部小次郎」 赤萩下屋敷阿部家 ▼下袋屋敷系図 覚書 赤萩の分家の詳細が記されている。 赤生津は「安部小次郎左近-赤生津安部…

赤萩下袋屋敷阿部家20代徹夫氏に聞く、安部小次郎

【言い伝え】 奥州仕置きのころか。石巻から3人で逃げてきた。一人は日形(花泉町)へ行き、一人は赤萩に、一人は花巻へ逃げた。日形といえば黄海が近い、小次郎が葛西晴信からの知行宛行地である。先祖からの伝承である。 赤萩に逃げたのは、2代の上野であ…

赤生津安部の祖を証明する「安部小次郎あて葛西晴信感状」消失と、石巻市毛利コレクションで保管されるまでの経過調査

白鳥氏家臣大石家 大石喜清氏にきく 2021.6.6 大石家の系図は、記録では寛永年間(1624-1645)に紛失とある。おそらく取り上げられた。明治になってから商人の手元から入手したという。仙台藩が廃止されたとき、廃棄書類あるいは、払い下げを、収集家が買い…

「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて第7報に向けて(要旨)

「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第7報 葛西家臣安部小次郎と赤生津安部初代が同一人物であることの再検証 高 橋 一 彦 1 はじめに 葛西没落により家臣から帰農、やがて伊達家臣に再起した旧磐井郡の安部一族がある。初代外記之介は軍功により葛西晴信か…

1590年(天正18)の赤萩は4世代家族、後の山目1世代、赤生津は2世代。浪人は豊前、小次郎とその子か

葛西没落の時、①赤萩下袋屋敷では、2代から4代まで3人が浪人、讃岐も浪人、②赤生津畑屋敷は、1代から3代まで3人が浪人となる。 赤萩下袋屋敷 直系 没 1590年時の年齢 1外記之助 天正18年7月10日 1590 70歳 2上野 慶長17年9月16日 1612 48歳 3大学【兄】 寛永…

安部小次郎は葛西家臣から赤生津に帰農し、甥の孫が山目で伊達家臣となり一族再起

安部小次郎の祖父外記之助(赤萩)は、軍功により葛西晴信より赤生津に五千苅を与えられた。赤生津東舘に住した安部小次郎も軍功により黄海村に五千苅を与えられたが、葛西没落により赤生津で帰農することとなる。一族は再起を願いやがては、小次郎の兄大学…

気仙兵乱文書では、赤生津住人「安部小次郎重綱」あて感状

【岩手県史3・156】 戦功諸士への加増 気仙兵乱関係文書20余を中心として、その軍功に基く諸士への所領知行の跡を窺うと、この兵乱によって、諸士の所領が、あるいは没収、あるいは加増されたことが知られる。伝えられる文書、家伝によって見ると、登米・本…

気仙兵乱の軍功感状は偽香炉印。小次郎もまた偽文書に。没落の後のやむをえない発行ではないか

【石巻市役所】 葛西晴信偽文書の研究者見解に従えば、正文は①香炉印の上部に二つの突起があり(偽文書にはない)、②香炉の腕が上部がしまり気味で肘が角ばっている(偽文書は開き気味である)、③香炉の底の横線も明瞭で地についている(偽文書は不鮮明)、…

「安部小次郎宛葛西晴信感状」の石巻で発見。安部家はなぜ手放したか

【当調査】 令和3年5月に、石巻市役所毛利コレクションに小次郎宛晴信感状があることを知る。赤萩阿部家の阿部徹夫氏、赤生津山ノ神屋敷(本家代理)の安部万王氏、畑屋敷本家18代の弟 照男氏に聞くと、その存在を知らないという。石巻市史★では、葛西氏から…

赤生津安部家8屋敷の系図を所蔵するが。由緒と初代が見つからず。

▼赤生津安部家分家 山ノ神屋敷 安部万王氏所蔵 赤生津安部家の本家分家を含む8屋敷の系図を所有している。 昭和年代に家屋を改築の際に、居間の天井近く壁の「なぎす?」裏から、隠されていた8系図が発見された。推定1900年ごろまでの系図であり由緒はない…

安部は、赤生津帰農に。赤生津祖となるが、刀狩や切支丹弾圧により改名や出自を隠さざるを得ない状況に

▼一関市文化財調査委員 小野寺啓氏 【平成23年7月発行・岩手県南史談会研究紀要・23頁】 安部外記之介論考~安部徹良氏論文と関連して~ 一関市文化財調査委員 小野寺啓氏 安部小次郎重綱の帰農について 小次郎が赤萩に戻り帰農したとの史料は、一関側では…

毛利コレクションとなった安部小次郎宛葛西晴信黒印状。経緯は不明

安部小次郎感状が、毛利氏の手元に渡った経過などを知るために、石巻市役所に問い合わせ、次の回答をえることができました。関係の皆さまに感謝しております。 【石巻市役所】 ①毛利総七郎の収集コレクション 毛利コレクションとは、石巻市住吉町在住の古毛…

気仙兵乱の軍功は小次郎含む46人。うち感状所有14名は子孫が所有しているが、小次郎のみ収集家の手元に

【岩手県史3・137】 気仙表6月の戦闘 気仙兵乱は、閏5月には戦斗があったことは伝わっていない。両方とも待機の形勢にあったものであろう。それが、6月に入ると、がぜん活発潑になったらしく、6月2日には、佐藤越中守、鳥畑主水、菅原上野介、金野次郎左衛…

「奥州仕置軍迎撃葛西将士名表」赤生津から白鳥民部

【葛西四百年・278】 1590年の奥州仕置軍迎撃葛西将士には、赤生津から白鳥民部の名があるが、安部小次郎の名はない。あるいは、白鳥城主で小次郎は住人であったためか? 1588年(天正16)に小次郎は黄海村に異動したことが考えられるが、黄海には、千葉新右…

刀狩を恐れた浪人は、帰農、改名、系図の隠匿四散。兵農分離と氏素性の抹殺

▼秀吉の奥州仕置 【花泉町史・110頁】 流の将士の多くは、帰農離散、何れも百姓か、流浪の士として地下に潜入して再起を期したのが本当らしい。この人々は屋敷の門に「サイカツの木」(葛西が勝からもじった)を植え同志の目印にしたと今尚伝えている。 また…

赤萩阿部家由緒(龍澤寺住職)

【安部隋波考証 龍澤寺住職 塩釜素隆誌 昭和33年1月8日】 赤萩阿部家系図及阿部家由緒略記参照 その祖は遠く安部貞任にさかのぼるのであるが、後代外記之助に至って葛西晴信に仕え家老職に在り。上野、左近、大学、その次男讃岐に至り、葛西家は没落し、安部…

赤萩下袋屋敷安部と赤生津畑屋敷安部の系図比較

赤萩下袋屋敷 安部家 赤生津畑屋敷 安部家 代 名 没年(戒名碑) 初代 外記之助 1590 2代 上野 1612 代 名 没年(推定) 3代 大学(兄) 1635 初代 【推測】小次郎重綱 1635 4代 豊前 1650 2代 十郎左衛門 1655 5代 太郎兵衛 1675 3代 兵庫 1675 6代 對馬 1…

【結論】葛西氏没落後、安部小次郎は十郎左衛門に改名、白鳥氏の後裔は大石氏の可能性が高い

〇天正15年(1587) 赤萩阿部家には、小次郎の祖父外記之介、父 上野、兄 大学が住んでいた(1)。 奥州仕置きの3年前の事であるが、祖父外記之介の軍功により赤生津に五千刈を与えられ、東館に、孫の安部小次郎が居住することとなる。 〇天正16年(1588) …

白鳥氏は、没落後大石家となる?

▼白鳥氏は、初代「山名駿河守義信」である。源義家「八幡太郎」のひ孫「山名」の4代目にあたる。白鳥舘にきて2代目から白鳥を名乗る。これは、母が阿部民部介の娘で、白鳥八郎行任の後裔であるからである。 ▼白鳥4代のとき、大石氏が家老に登用された。大石…

奥州仕置きまで、小次郎が黄海村に2年いたのか?

▼天正15年(1587)赤生津村に五千刈 東館に外記之介、上野、大学、その弟左近小次郎 ▼天正16年(1588)黄海村に五千刈 東館に外記之介、上野、大学、 黄海村に左近小次郎 ▼天正18年(1590)外記之介死去、奥州仕置き 赤生津に左近小次郎が戻る? 赤萩村に上…

畑屋敷口碑伝承に「安倍頼時」後裔。安部小次郎の祖、赤萩下袋屋敷も「安倍頼時」後裔を伝える

赤生津安部の口碑伝承も、赤萩安部も「安倍頼時」の子孫を伝える。 【葛西氏家臣団辞典】 ①「赤生津 安部氏」は、赤萩阿部氏の分族である。 ②「赤萩安部氏」は、衣川阿部氏の末裔と伝わり、一関の伏牛城(牛臥城)を拠点に栄えた安部越前(永享7年5月17日没…

1618兵農分離による農民の改名。国名官名を称することが禁止に。赤生津安部家では初代から5代が改名

【岩手県史3・927】 士農分離に伴い、殊に農民は国名官名を称することが禁ぜられることとなる。元和4年5月8日、東山八沢本郷の、採鉱関係の士分数名が、仙台城下に召集され、金掘鑑札の納付、苗字官名の廃止改名を迫られた。 峯屋敷。山口土佐は東左衛門と改…

安部小次郎の軍功感状は誰が所有していたか?

▼安部外記介宛感状 晴信黒印(赤萩下袋屋敷 阿部所蔵) ▼安部小次郎宛感状 晴信香炉印(石巻市 毛利惣七郎所蔵)【岩手県史3・140】 安部に関する軍功を評価する感状は、2通あり、安部外記介あてに葛西晴信が赤生津に5千刈を与えた感状は、子孫の赤萩下袋屋…

筆者の視点「葛西氏家臣が、伊達家臣に残った事実を風化させない」

赤生津安部旧墓地から見える安部家 地方史で「赤生津安部の祖」に注目されたのは、地方史研究者が伊達世臣家譜「阿倍」の漢文書き下しをはじめた昭和40年から前沢町史の昭和51年発行のときではないか。それまでは、「赤生津安部は武士」「安部一族の末裔」の…

伊達世臣家譜「阿倍」では「小次郎赤生津に住す。葛西没落で兄大学と子が流落」と。小次郎が赤萩に帰農したと誰が言ったか?前沢町史(S51年)は調査不足から誤り

伊達世臣家譜では、「小次郎赤生津に住す。葛西没落で兄大学と子が流落」とある。この記載のとおりであれば安部小次郎は赤生津の祖先となる。 伊達世臣家譜「阿倍」の書き下し文 百三十六 阿倍 【赤生津安部の出自を尋ねて65】 阿倍の姓(族名)は藤原。阿倍…

安部小次郎の甥孫「阿部隋波」が平士(伊達家臣の武士)となる地方史

【中里村史116】 阿部随波は、銅山業に尽くし、伊達藩主に献金して大番組(平士)に列せられる。南部鹿角郡の尾去沢、長沢、江刺郡人首の途中山、和賀郡の水沢銅山(三ッ沢)、庄内の永松山・白銀銅山・遠野鉄山はその主なもの。2代小平治が、伊達世臣家譜に…