赤生津・安部氏の出自を尋ねて

衣川安倍氏から葛西家臣、没落後の帰農、そして伊達家臣へ再起を果した赤萩・赤生津安部一族を追っています

2021-04-11から1日間の記事一覧

後藤寿庵の堰の開削引き継いだ前沢キリシタン

1644年から1873年までの230年間、禁教の時代を文字通り潜伏して生き抜き、明治になって禁教が解かれたときにカトリックに復帰した信者たちを「潜伏キリシタン」、一方で、カトリックに復帰せずに潜伏期以来の儀礼や行事を守ってきた人たちを「かくれキリシタ…

昭和12年に公開された伊達世臣家譜の赤生津安部氏

【下袋屋敷系図】「外記之助、小次郎まで、赤生津に居住し、天正18年葛西家没落に際し、大学に至って、旧領地の赤萩に居住したものであろう。 【一関千刈田阿部卯吉所蔵】天正18年葛西家没落に付、家中の諸士、或は戦死、或は離散」 (安部研究65P) 【隋波…

白鳥八郎の血を継ぐ白鳥舘・東舘城主

東磐井郡史には、白鳥八郎の後裔に白鳥民部少輔、そして天正の奥州仕置により没落後は、赤生津宿屋敷つまり大石家に血が引き継がれるとある。大石家の墓石にはこの覚書が記されていた。 また、葛西研究によると安部と大石家は同族関係とみられている。 〇大…

飢饉から人々を守った赤生津村切支丹

前沢町史による赤生津村切支丹 生母の赤生津荒谷屋敷の鈴木文一氏宅に天和3年(1683)から天保10年(1839)に至る75冊の「赤生津村高人別改帳」が保存されている。そのうち貞享5年(1688ー元禄元年)分に、赤生津村人口494人、内類族14人男8人女6人と書かれ…

白鳥舘・東舘に鉱山経営か

【東山町】田河津 矢ノ森「藤壺の滝」 藤原氏から伊達までの金鉱山跡 岩手県史4巻388頁 白鳥村、目路木村、赤生津村、田河津村、母体村の五カ所は、もと(天正年中)白鳥治部少の知行地であり、しかもこの五村はその当時は一村であり、「万事一通」の取扱い…

赤生津安部本家の守り神

系図では、初代十良左衛門義澄は、白鳥舘居住から浪人(士官していない武士)となり赤生津村に移り(1回目)、田畑を耕し農民になると伝えられます。2代義則は、浪人で北畑屋敷移り(2回目)、3代義則も浪人。4代将監で現在の畑屋敷に移り(3回目)、百姓…

赤生津安部と転切支丹

墓石1 「C 菩船浄■居士」であろうか? 墓石2 1600年代から1700年に安部氏がキリシタン類族となった可能性があります。赤生津人別帳には2屋敷の類族があることが前沢町郷土史にありますが、大石喜清氏によると大石家、安部家がこれにあたるといいます。人別…

金山経営とともに、母体・赤生津・田河津・黒石を知行した白鳥舘・赤生津舘の城主

白鳥舘と東舘(赤生津城)は、本城、支城の密接な関係にあります。城主9代から1585年落城まで仕えた大石家老の時代には、赤生津城に2万7千石、母体、赤生津、田河津、黒石など下胆沢を広く知行しました。田河津産金などの積出港で秘密の要衝地でもあります…

赤生津安部の家譜書き写し

赤生津安部17代夘助氏が昭和45年に亡くたった時、県外在住の子が書き写した家譜と思われるもの。兄弟によって若干の考察が書き加えられている。初代十良左衛門の史ではなく、先祖の由緒と推察する。この系図には、葛西氏家臣家譜の一関赤萩の安部小次郎のい…

1590奥州仕置当時の白鳥舘・東舘の地方史

年代 出来事・推察 天正年間 東城を白鳥氏が撤退し一族を白鳥城のみに集結させたのは事実のように思われる。(県南史談会 小野寺啓) 1585年(天正13年) 東城・赤生津城落城(家老大石家) …奥州仕置の5年前に落城か? 1587年(天正15年) 安部外記之助が赤…

白鳥舘の住人は白鳥か安部か

1 平泉の発展に貢献した「白鳥舘・東舘(赤生津城)の城主白鳥氏」とは 白鳥舘は、11世紀から15世紀まで、平泉の生活基盤を支えて北上川交通の要衝地として平泉の発展に貢献しましたが、対岸にある赤生津城も重要な役割を果たしています。 白鳥舘と東舘(赤…

1590奥州仕置とキリシタン弾圧による断絶危機を乗り越えた赤生津安部

衣川安倍氏の後裔と伝えられる、奥州市前沢の生母赤生津安部の祖は、1590奥州仕置による家系断絶の危機と、1640年のキリシタン弾圧による断絶危機を逃れ、密かに生き延びてきたと伝えられる。 残された史料は、「家譜が切り取られた19代の系図」と、戦後、突…