赤生津・安部氏の出自を尋ねて

衣川安倍頼時の七男「比与鳥七郎」から「葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前」までを探求しています

2021-04-29から1日間の記事一覧

赤生津地内に八町の耕地を拝領した?安部小次郎

【岩手県史4】 寛永19年(1642)検地帳によると、 畑屋敷 5代安部三四郎 4町7反4畝19歩 宿屋敷大石茂右衛門 8町8反4畝16歩 大石家は、東舘白鳥氏の家老を務めた。1590年まで赤生津・東館には、白鳥氏と安部小次郎がいる。1642年はすでに、安部小次郎の次の世…

浜田騒動に関する安倍外記之助の晴信書状(偽書でない真書)

【生母教育史】 浜田城主(陸前高田市)の浜田安房守と、本吉郡志津川城主本吉大膳太夫とが衝突して。浜田勢が本吉郡岩月村に侵入するという戦乱が勃発した。この時、西磐井郡赤荻村(一関市)在住の安倍外記之介が両者の斡旋に奔走して、無事和解させた功に…

伊達家臣となった葛西衆の赤生津阿倍

13 阿倍 平士 300石 磐井郡赤生津に住す 【石巻の歴史6巻 242頁】 旧臣の移住 251頁 由緒の多くは「主君である葛西晴信公の没落以後に当村へ移住して百姓になった」 天正18年(1590)葛西・大崎家臣が主君の没落以後に浪人となり、当村へ移り、百姓となった…