赤生津(奥州市前沢生母)畑屋敷安部
安部家旧墓地には約40から50基の墓と五輪塔が2基あります。初代十郎左衛門(推定1838卒)から16代幸蔵氏(昭和18年3月5日卒)までの先祖の霊が眠っております。 五輪塔の詳しい言い伝えはありませんが、武士であった初代、キリシタンを弔ったものではないか…
一関市山目の龍澤寺に眠る事業家の阿部随波の墓碑であります。 卍は、切支丹改宗者に記される墓字といいます。 「伊達世臣家譜」に、安部小次郎重綱の孫讃岐が伊達家に仕え、讃岐の孫が小平治重貞とあります。小平治が即ち伊達家に一万五千両を献金した富豪…
系図では、初代十良左衛門義澄は、白鳥舘居住から浪人(士官していない武士)となり赤生津村に移り(1回目)、田畑を耕し農民になると伝えられます。2代義則は、浪人で北畑屋敷移り(2回目)、3代義則も浪人。4代将監で現在の畑屋敷に移り(3回目)、百姓…
赤生津安部17代夘助氏が昭和45年に亡くたった時、県外在住の子が書き写した家譜と思われるもの。兄弟によって若干の考察が書き加えられている。初代十良左衛門の史ではなく、先祖の由緒と推察する。この系図には、葛西氏家臣家譜の一関赤萩の安部小次郎のい…
衣川安倍氏の後裔と伝えられる、奥州市前沢の生母赤生津安部の祖は、1590奥州仕置による家系断絶の危機と、1640年のキリシタン弾圧による断絶危機を逃れ、密かに生き延びてきたと伝えられる。 残された史料は、「家譜が切り取られた19代の系図」と、戦後、突…