赤生津・安部氏の出自を尋ねて

①1590奥州仕置後の浪人、②秀吉ゴールドラッシュの混乱、③切支丹弾圧を生き延びた赤生津安部の祖を探求しています

研究著書「赤生津・安部氏の出自を尋ねて」あらまし

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  研究は、平成21年から平成27年まで続けられ、岩手県南史談会研究紀要で紹介されています。主に研究にあたられた安部徹良先生は、完成を間近かに控え惜しくも平成27年12月にお亡くなりになられました。

 安部徹良先生をはじめとする著者は、赤生津安部4代将監の分家の御子孫であり、生母村長、前沢町長など輩出する安部の後裔であります。安部徹良先生は、医学博士であり晩年にこの研究に取り組まれました。

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  研究書は、ここですべて公開することはできませんが、前沢図書館、一関図書館に蔵書としてあります。安部小次郎が初代安部十良左衛門と同一人物であるかどうかは、昭和年代から郷土史研究家が挑んできたことでしたが、ついに、有力な史料や根拠を見つけることができませんでした。

 安部徹良先生は、それまで公にされることはない、安部家系図を取り上げ、一関赤萩阿部家の小次郎との接点を追及してまいりました。

先祖の生没年の詳細がわからないことが、大きなハードルでした。正確な史料がないまま推測で、結論付けようとしましたが、惜しくも研究が中断されることとなったのです。

 

「赤生津・安部氏の出自を尋ねて」あらまし

  

▼第1報 岩手県奥州市前沢生母・赤生津地区における「アベ」姓世帯分布の特徴(平成21年7月15日発行)

赤生津地区の安部姓25世帯は、地区内登録世帯数のうち7.4%をしめ、奥州市内でも安部姓が密集している地区はほかにない。

 

▼第2報 葛西氏時代(鎌倉・室町時代)及びそれ以前の「赤生津・安部氏」に関連する歴史上の記録の検討(平成22年7月20日発行)

「赤生津・安部氏」「衣川・安部氏」と仮説のもとに研究をはじめる。伊達世臣家譜に「阿部小次郎重綱を以って祖となす」とあり、祖父安部外之助と萩荘家との血縁関係が明らかになれば「衣川・安部氏」につながるとまとめた。

 

▼第3報 仙台藩時代(江戸時代)前半期における「赤生津・安部氏」に関連する歴史上の記録の検討(平成23年7月20日発行)

赤生津畑屋敷安部家系図を用いて、初代「安部十郎左衛門」と「安部小次郎重綱」の関係に近づいた。

 

▼第4報 前沢町史及び岩手県史にみる中世・近世移行期の「赤生津村」を巡る状況(平成24年7月20日発行)

初代「安部十郎左衛門」を安永風土記「御百姓書出」の史料により実在を裏付けた。

 

▼第5報 「赤生津・安部氏」の歴史における「安部小次郎重綱」の位置づけに関する検討(平成25年7月20日発行)

安部小次郎が葛西氏没落の際、赤生津を去り、赤萩に帰農した説を裏付ける、一関赤萩村御百姓書出には存在しないことを明らかにした。

 

▼第6報 「赤生津・安部氏」の歴史における畑屋敷前半期の主な状況の同屋敷系図による検討(平成27年6月30日発行)

赤生津畑屋敷5代兵部の寛永検地の御引竿の1642年をもとに、1世代あたり22~26年として初代まで遡る計算により、初代の居住年代が1538年~1554年と推定した。小次郎が浪士となる1590年の40~50年前であり、「赤生津・安部氏の初代と小次郎の流落との間に直接的な関係は考えられない」とまとめた。

 

 ※著者 安部徹良氏 平成27年12月12日死去のため研究中断

※令和2年に当方の年代測定の再調査により「両者は関係あると修正することとしている」