赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

白鳥舘をみわたせる「良い土地」赤生津

 

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 束稲山・経塚山から眺める北上川蛇行部。円を描く北上川の中心に白鳥舘跡。右手の水田の中に赤生津安部の祖の地はあります。山地の堤に蓄えられた水から棚田に引き稲作ががなされ、森林から豊富な薪により生活が営まれてきました。

 1590年ごろは、束稲山の東には、金山のためにつくられたまち田河津があり、鉱山の仕事にも恵まれていました。

 大石家では、大昔、田河津に土地を所有していたといいます。赤生津から鉱山に通う

人もあったようです。

 

「赤生津」起源は「良い土地」

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