赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

金鉱山を経営した安部小次郎系「阿部随波」もまた切支丹か

一関市山目の龍澤寺に眠る事業家の阿部随波の墓碑であります。

卍は、切支丹改宗者に記される墓字といいます。

「伊達世臣家譜」に、安部小次郎重綱の孫讃岐が伊達家に仕え、讃岐の孫が小平治重貞とあります。小平治が即ち伊達家に一万五千両を献金した富豪、阿部随波(老号)とあります。

f:id:zyuurouzaemon:20210417122047j:plain

 

f:id:zyuurouzaemon:20210417122126j:plain

 

下袋屋敷系図によりますと、安部小次郎の甥の孫が「隋波」にあたります。

下袋屋敷 赤生津安部 山目村
1外記之助    
2上野    
3大学【兄】 【⇒弟】左近(小次郎重綱)  
4豊前【兄】   【⇒弟】讃岐
5太郎兵衛   九左衛門(重直)
6對馬   随波(小平次重貞)
7太郎兵衛   勘左衛門(小平治重頼)

 

隋波家系生没年

山目村   生     没
讃岐      
九左衛門(重直)   貞享元年 1684
随波(小平次重貞) 1619 元禄4年 1691
勘左衛門(小平治重頼) 1661 宝暦7年 1757