赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

「伊達世臣家譜の赤生津祖安部小次郎」「安永風土記の安部十郎左衛門」「赤生津村屋高七軒」から祖は畑屋敷に

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伊達世臣家譜は,仙台藩家臣の系譜であり,百石以上の家臣の知行(ちぎょう)高の増減,役職の任免や諱(いみな)など家臣の概要を把握する上での基本史料である。編纂は田辺希文(たなべまれふみ),希元(まれもと),希績(まれつぐ)の三代の儒学者があたった。寛政4年(1792)の頃に成立し,続編は文政7年(1824)頃に成立している。

 

▼伊達世臣家譜の赤生津安部

「阿部小次郎重綱を以て祖となす。重綱葛西氏に仕え、天正中磐井郡赤生津邑に五千刈の地を領す」

※祖父は安部外之介

 

▼安永風土記(県史4)の安部十郎左衛門

十郎左衛門ー兵庫ー将監ー三四郎ー幸内ー三左衛門ー四郎兵衛ー幸内ー幸内

 

▼赤生津村屋高七軒(県史4・66頁)の安部十郎左衛門

宿屋敷  先祖大石

平屋敷  先祖鈴木

柿屋敷  先祖千葉

羽場屋敷 先祖小野寺

西屋敷  先祖小野寺

箱根   先祖三浦

斉田   先祖佐藤

畑屋敷  先祖安部★

麦田   先祖高橋

新地 先祖佐藤

東 先祖源四郎

畑北 先祖初貝

 

伊達世臣家譜は、明治29年に発行されるが、わかりづらく、1970年以降に復刻版などで一般的に知られるようになったと思われる。

前沢町民に、赤生津「安部小次郎」の存在が知られるようになったのは、昭和47年前沢町郷土史史料(阿曽沼麿)や、前沢町史に掲載のころからではないか。

昭和40年代に生母教育史・生母地区資料を鈴木将夫氏・鈴木福美雄氏が作成した際、現在の赤生津安部家とのつながりをついに見つけられなかったという。

岩手県姓名辞典でも安部小次郎(県史3)と安部十郎左衛門家系(安永風土記)との関係を不明とあえて表記している。

 

 赤生津村の寛永検地から安永風土記には、先祖安部は畑屋敷1軒のみである。