赤生津・安部氏の出自を尋ねて

衣川安倍頼時の七男「比与鳥七郎」から「葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前」までを探求しています

安部精蔵(赤生津長根屋敷)

(1881~1951)

東磐井郡生母村(奥州市前沢)赤生津生まれ。生母村書記・収入役・助役を経て大正12年より3期生母村長を務め、村会議員を含め前後38年間村政に尽くした。また、村の農業会長、耕地整理組合長も務めたほか、北上河畔20余町歩の海田と赤生津橋架設を完成させた。赤生津に頌徳碑が建つ。(県姓名辞典)