赤生津・安部氏の出自を尋ねて

衣川安倍頼時の七男「比与鳥七郎」から「葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前」までを探求しています

伊達家臣となった葛西衆の赤生津阿倍

 

13 阿倍 平士 300石 磐井郡赤生津に住す

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石巻の歴史6巻 242頁】

 

旧臣の移住 251頁

由緒の多くは「主君である葛西晴信公の没落以後に当村へ移住して百姓になった」

 天正18年(1590)葛西・大崎家臣が主君の没落以後に浪人となり、当村へ移り、百姓となったというパターンで語られる。

移住と土着

天正18年以降、百姓化した葛西・大崎旧臣の多くは、中世以来の本貫地(祖先の発祥の地)を離れた形で土着し、百姓となった。

天正18年(1590)、葛西氏・大崎氏は所領を没収され、それに伴って、その家臣団も領主としての権利を否定されることとなった。そのような状況のもと、旧臣の一部は、浪人となり中世以来の本貫地を離れる形で、百姓化していったのであろう。