赤生津・安部氏の出自を尋ねて

衣川安倍頼時の七男「比与鳥七郎」から「葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前」までを探求しています

「葛西晴信知行宛行状」偽書でなく新たな視点で

陸前高田市史11巻 65】

葛西晴信信書状は、葛西氏最後の当主晴信が発したもので、特に浜田安房守広綱(米ヶ崎城主)が、本吉表で起こした「浜田の乱」において功があった家臣に宛てた書状が多いことが注目される。晴信は、永禄2年(1559)から天正18年(1590)まで約30年間にわたって活躍してきたが、家臣にあてた書状には「香炉印」を押したものと「花押」を記したものと2種類があり、また「香炉印」には3種類があると言われている。「花押」にも3種類以上が知られ、署名も「晴信」と「左京太夫」と記されていることなど、晴信文書については以前から識者の間で「偽書説」もあるが、それらをすべて「偽書」として除外するのではなく、新たな視点で歴史資料として掲載し、世の識者に問うべきものと考え、あえて他所の文書も収録した次第である。以下書状は、「岩手県戦国期文書Ⅱ」より採録した。

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