赤生津・安部氏の出自を尋ねて

衣川安倍氏から葛西家臣、没落後の帰農、そして伊達家臣へ再起を果した赤萩・赤生津安部一族を追っています

筆者の視点「葛西氏家臣が、伊達家臣に残った事実を風化させない」

 

赤生津安部旧墓地から見える安部家

f:id:zyuurouzaemon:20210516171530j:plain

地方史で「赤生津安部の祖」に注目されたのは、地方史研究者が伊達世臣家譜「阿倍」の漢文書き下しをはじめた昭和40年から前沢町史の昭和51年発行のときではないか。それまでは、「赤生津安部は武士」「安部一族の末裔」の伝承のみであったと思う。度々の火災で史料は消失したと思うが、系図の書き写しが残っている。しかしながら、由緒がはっきりしていない。そんなに大事な由緒であるならば、なぜ史料として残せなかったのか、疑問が残る。

 

後世に残る「葛西晴信」感状(軍司功労の賞賛する文書)を誰が保管していたか?

伊達世臣家譜は、武士の報酬や身分にかかわることであり、明治まで門外不出とされ、一般の目には触れることがなかった。安部外記助や小次郎を家臣と証明してきた書類は、「葛西晴信」の感状である。この書状を有する家系が代々大切に保管し、歴史上の史料にその重要性を残してきた。その書状は、誰が保管してきたかというと、一関赤萩の下袋屋敷である。著者がはじめてその家人を尋ねたのは、令和3年3月のことである。赤生津からおよそ南西に北上川を越え15㎞というところ。安倍外記助の宮田館を探し、一関市の曹洞宗寺院「要津院」を訪れたところ、先祖代々の墓石があるあることや、下袋屋敷が今も存在することを知ることになった。紹介をうけ、まずは、先祖代々の墓にお参りすることにしたが、天正年間(1590年)からの歴代の先祖が戒名碑に並んでいることに唖然とし、同時に何とも言えない感動を得た。400年越しに小次郎が実家に帰ったようなそんな気がした(小次郎は戒名碑にない)。すべて一人一人の戒名があり、卒年がかけることなく戒名碑にあった。下袋屋敷の方に是非お会いしたと思い、住職から住まいを教えていただいた。5分ほどで安部家につき、挨拶することができた。先祖を大切にしている家系であり、間違いなく赤萩安部の祖の本家であることを確信。家主は仕事中であったが、勤務場所を教えられたので、突然ではあったが、挨拶に出向いた。丁寧に応対していただいた。赤生津安部家に残された、一人暮らしの婦人を心配されていた。安部千代子氏は、平成26年に亡くなったことと、今は空き家と化したことをつたえた。申し訳ない気持ちだった。安部小次郎の戒名は、下袋屋敷墓地には見当たらなかったが、どこにあるかと聞いてみた。正確にはわからないようであったが、赤生津にあるものだと思っていたようだ。これは申し訳ないと思った。もしそうだとしたら先祖に対して、供養の気持ちにかけていたのではないかと。少し恥ずかしい思いをした。赤萩下袋屋敷と赤生津畑屋敷の近年の行き来はないようにうけとった。

安部十郎左衛門が安部小次郎とまだ確定したわけではない。説明がつかないこの親近感から間違いないと感じる。何気なく宮田館を探す外出であったが、先祖がめぐり合わせたような出来事であった。

 

葛西晴信文書がないと歴史に残りにくい事実

家系の由緒には、先祖の功績なりを証明する文書が必要である。郷土史研究家は、その公文書を証拠として史実とする。赤生津安部家には、公に証明される文書がない、あるいは残っていない。ただし、今回の伊達世臣家譜「安倍」の公文書により「赤生津に安部が住しており」、さらに移住していないことが証明されれば、祖は安部小次郎といえるものと思う。ただし、多くの史料から裏づけするためには、誰かが時間をかけて、調べ証明する必要がある。その誰かは、行政や郷土史研究家を待っていても、「調査価値」と思ってもらえる人とめぐりあることは、まずない。なぜなら、奥州仕置きで浪人となった武士は、奥州でも何百とあり、切支丹弾圧を受けた人々も何百とある。さらに記録に残っているケースも多く、史実に残らないケースを調べることは、無駄になることも覚悟して相当な勇気をもって取り組むことになるだろう。もっとさらには、赤生津の子孫が近年の少子高齢化により先細りとなり、伝承者が少ない、口碑を知ることができなくなってきた。ぜひ、今のうちに何とかしなければ、後継者がなくなった後では、遅すぎると、焦燥感をいだいている。

 

赤生津安部一族は、後継者不在で危機にある

畑屋敷安部本家は、安部18代嘉雄を最後に空き家となる。4代将監を祖とする長根屋敷も安部敏彦氏の後も同様である。土地屋敷を引き継ぐ者がないが、長根屋敷のように子孫が多分野・他方面で活躍されている。先祖の声がもし聴けるとすれば、どんなメッセージを受け取るだろうか。私たちが子や子孫を想うのと同じことではないか。そして、過去に先祖が経験した現代の想像を超えた困難や経験にたって、子孫に期待のメッセージを送るのではなかろうか。

 

ルーツを知ることは、遺伝子上の未来を知ること

私(たち)は、そんな祖先のことを知らない。知らないから子にも伝えることができない。いつかは、「目に見えない、聞こえない祖の期待のメッセージ」も受け取ることはなくなるだろう。

奥州仕置きや切支丹弾圧の中で、先祖はいかに生き、子孫に何を託したのか。 

 

筆者

私は、赤生津18代安部嘉雄氏の孫の夫として、今、できることを探している。