▼白鳥氏は、初代「山名駿河守義信」である。源義家「八幡太郎」のひ孫「山名」の4代目にあたる。白鳥舘にきて2代目から白鳥を名乗る。これは、母が阿部民部介の娘で、白鳥八郎行任の後裔であるからである。
山名 義経北行伝説 - ミヤペディア (miyapedia.com)
▼白鳥4代のとき、大石氏が家老に登用された。大石家は、伊達郡大石村の伊達家臣にもなった家系(伊達世臣家譜 平士21大石)である。
▼磐井郡史に「白鳥民部少輔行長に至り天正中没落し今の宿屋敷その後裔なり」とある。宿屋敷は、赤生津大石家をさしている。大石家由緒には「秀吉奥州仕置により赤生津城落城、当家白鳥の名跡を継ぎ民間に下る。厳酷な仕置と幕藩体制の強化の元、当家が断絶を逃れ得たのは、此偏に先祖の縁による」とある。
白鳥氏は没落後に大石氏に改名したものであろうか?
なお、仙台領古城書上には、「安倍小次郎と白鳥氏とは一族の間柄と見られる」とあるが、白鳥2代目の「母が阿部民部介の娘」という理由からであろうか?
【ウィキペディア】山名氏
山名氏の本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の棟梁・鎮守府将軍・源義家の子・義国を祖とする名門・新田氏の一門。新田義重の庶子・三郎義範[1](または太郎三郎とも)が上野多胡郡(八幡荘)山名郷(現在の群馬県高崎市山名町周辺)を本貫として山名三郎と名乗ったことから、山名氏を称した。