赤生津・安部氏の出自を尋ねて

衣川安倍頼時の七男「比与鳥七郎」から「葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前」までを探求しています

【発見した系図証明その1】由緒にある初代安部肥前(≒小次郎)が造立した愛宕堂跡と住居跡

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 ▼赤生津初代安部肥前(小次郎、十郎左衛門)が白鳥舘からはじめて赤生津に移住した場所は、北上川と白鳥舘が見えるところ。

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生母青木74  生母青木地内(畑屋敷から東に約600m)

愛宕堂跡】

18代嘉雄(2009没)の弟及川照男氏に聞くと、先祖から代々、正月などに当主が参拝に行く場所であった。祠周辺には、杉林があったが、20年ほど前に伐採されたという。土地周辺に居住の鈴木家からも嘉雄氏が正月参拝に訪れた様子をきく。及川照男氏にきくが安部の神社、愛宕神社ともいい詳しくはわからないという。令和2年8月に及川照男氏からききとり、現地を訪問したところ、雑木林となり踏み入ることができないため、9月に雑木を場伐採した(写真はそのとき)。高台にあり北上川の蛇行部、白鳥舘が見える場所である。

 

【発見した系図にある「愛宕堂」と住居跡】

愛宕祠は当主が代々参拝したが、由来は書類としては残っていなかった。令和3年6月20日及川照男氏に系図を確認してもらい、愛宕堂が存在することを確認した。