【原本に近い系図を所有していた子孫】
長根屋敷の西隣の下屋敷安部家が所有していたが、古文書の内容までは把握していなかったようである。及川照男氏にきくと、所有していたのは下屋敷でなく長根屋敷南側の安部寿平氏ではないか。戦後まで屋敷はあったがいまなはい。長持ちに古文書を入れたまま、下屋敷に譲ったのではないか。寿平氏の屋敷名は不明。
【赤生津安部家の分家】
畑屋敷ー4代将監-将監長男 兵部 本家畑屋敷・・・由緒はなく口碑伝承があるのみ。兵部系統の分家、山神屋敷には由緒と初代の系図のみない。前畑屋敷には系図がない。
-4代将監二男 長根屋敷・・・由緒系図なし
-4代将監三男 下屋敷・・・由緒系図がなかったが、寿平に譲られた
5代兵部は、本家と二男長根屋敷と三男下屋敷に同じく毛系図写しを与えたものと考えられるが、切支丹であるため藩の追及で前屋敷の由緒は没収された。長根屋敷または下屋敷の分家と思われる「安部寿平氏」の屋敷にひそかに写しが保存されていたと考えられる。
【由緒系図がない理由】
切支丹類族のため藩の取り調べの際に系図を没収されたと考えられる。
【系図没収の根拠】
白鳥氏家老をつとめた大石家の大石喜清氏に令和3年6月19日に再度きく。
大石家が肝入であったころの古文書に「寛永元年(1624年)不慮に系図等紛失」とある。これは、切支丹であったために大石家の系図が調査のため取り上げられたことを意味するという。明治になり藩政が終わった時期に、収集家から買い戻したのが、今所有している系図である。21代義氏の代に切支丹が嫁いできたのがはじまりであり、分家が絶えるように仕向けられたという。
【切支丹であったことの根拠】
「畑屋敷・山神屋敷・前畑屋敷」旧墓地に釣針状「C」の墓字が2基ある。人別帳にも赤生津に2世帯類族がある。大石善清氏によると大石家と安部家であるという。大石家は切支丹であったことを最近、新聞紙等で公表している。大石家と安部家は衣川安部氏との血のつながりで同族であると言われている。安部家旧墓地の釣針状「C」は、改宗したのではなく、殉死した印である可能性がある。信仰が篤かったものと思われる。
【系図没収の時期】
大石家の「寛永元年(1624年)不慮に系図等紛失」と同じ時期に、葛西晴信感状と系図が取り上げられたと考えられる。