赤生津・安部氏の出自を尋ねて

衣川安倍頼時の七男「比与鳥七郎」から「葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前」までを探求しています

赤生津安部の祖「比与鳥七郎」の系図

 

【著者】

安倍頼時の七男則任「比与鳥七郎」の子はいずれも「太郎」を名乗る。長男「頼任」は安東に、次男「泰平」は安藤に改姓となる。「和任 比与鳥小太郎」は白鳥に残ったのだろうか。「比与鳥小太郎」は、照井太郎と改姓しただろうか?。

 

【「安倍・安部一族」日本家系協会】

安倍頼時ー則任「比与鳥七郎」

 ー【長男?】頼任 太郎 安東氏

 -【次男?】泰平 七郎太郎 美濃国大野郡に住す

    子孫は安藤氏 田辺藩主の系なり

 ー【三男?】和任 比与鳥小太郎

 

(注釈※)美濃国大野郡…大野郡(おおのぐん)は岐阜県美濃国)にあった郡。

(注釈※)紀伊田辺(きいたなべはん)は、紀州徳川家御付家老だった安藤家が治めた

 

一関の赤荻、胆沢郡の赤生津などに安部氏、安倍氏が見え、豪族葛西氏の配下にあり。安部外記之介を祖とする系も伝えられ、阿部の氏号の流れも少なからず。

 

安倍頼時年譜】

1057年没

【照井太郎 年譜】

文治5年(1189年)  照井太郎高春開削

文治(1185-)年中 藤原秀衡家臣 照井太郎直高 佐沼城住居仕り

 

【著者】

安倍頼時没後の132年後に照井太郎高春が開削。照井舘の6代目(1代20年で)くらいであろうか。佐沼城は、原秀衡の家臣・照井高直によって文治年間(1185年-1190年)に築城されたという