赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

胆沢ダムの穴山堰(500年前)は、白鳥郷主「照井太郎」が金鉱山技師をつれて掘った?堰開削付近の胆沢愛宕には古くから安倍家が管理

「金山技師による開削」説は、近年、富士大学学長による研究からである。照井太郎は、平泉藤原時代に、金鉱山技師とともに優れた技術で、奥羽山脈からの雪解け水を、胆沢平野の扇状地に水路で広げた技師である。

胆沢愛宕の「安倍」家は、岩手姓名辞典にも掲載されている旧家であり、安倍頼時の子孫とも伝える。この安倍家が穴山堰の管理に関わっている。

 

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