赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

宝暦3年(1753年)赤生津養蚕古文書の養種売方「赤生津村御百姓四郎兵衛」は、畑屋敷8代四郎兵衛(推定1705~1775)か?

 

束稲山麓の養蚕業の古文書は、赤生津山ノ神屋敷安部万王氏が所蔵している(前沢町史下巻㈠192)。この古文書に「拙者儀親類に東山町赤生津村御百姓四郎兵衛と申す者御座候間、右同人に養種売方相願い、……」とある。仙台藩要路の役人に提出した領内蚕種販売の請願書。四郎兵衛が、蚕種商人松屋太郎兵衛の手先となって、赤生津一円を一手販売したのであろう。

この「四郎兵衛」は、山ノ神屋敷安部家にあることから、「安部四郎兵衛」とみてよいか。

「安部四郎兵衛」は、畑屋敷8代(推定1705~1775)であり、この頃推定48歳と思われる。

赤生津安部家が養蚕業の普及に貢献したとみてよい古文書ではないか。