20 義家の武勇
同年12月17日の国解に次のような記録がある。
「斬り殺した賊軍の者は、安倍貞任、同重任、藤原経清、散位平孝忠、藤原重久、散位物部維正、藤原経光、同正綱、同正元、帰降客安倍宗任、弟家任、則任(出家して帰降)散位為元、金為行、同則行、同経永、藤原業近、同頼久、同遠久らである。この外に貞任の家族に遺族などはいない。ただし正任一人はいまだに投降していない」
僧である良昭は、すでに陸奥国から出羽国に行って、国守源齊頼に捕縛されている。正任は、当初出羽国の清原光頼の嫡子で、字を大鳥山太郎賴遠という者のところに隠れていたが、後に宗任の投降した話を聞きて、自ら出てきて逮捕されたとのことである。