赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

陸奥話記1062年12月17日。安倍則任は、出家して帰降。”白鳥八郎(比与鳥七郎)は生きて白鳥舘に住したか”

 

 

20 義家の武勇

同年12月17日の国解に次のような記録がある。
「斬り殺した賊軍の者は、安倍貞任、同重任、藤原経清、散位平孝忠、藤原重久、散位物部維正、藤原経光、同正綱、同正元、帰降客安倍宗任、弟家任、則任(出家して帰降)散位為元、金為行、同則行、同経永、藤原業近、同頼久、同遠久らである。この外に貞任の家族に遺族などはいない。ただし正任一人はいまだに投降していない」


僧である良昭は、すでに陸奥国から出羽国に行って、国守源齊頼に捕縛されている。正任は、当初出羽国清原光頼の嫡子で、字を大鳥山太郎賴遠という者のところに隠れていたが、後に宗任の投降した話を聞きて、自ら出てきて逮捕されたとのことである。