赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」。さらに阿弖流為時代にさかのぼり、祖先安倍高丸を追う

角塚古墳埋葬の「蕨手刀」は、大蛇に化身した長者の妻の角か

角塚古墳を語る 6

残念なことに、角塚古墳には蕨手刀が存在していた。明治40年に畑耕作中に直刀を拾い祟りがあるからといい投げ返したという。その後別の人が見つけ東京方面に売ったという。

 

蕨手刀の考古学 11

明治15年発行の「撥雲余興」に「陸中国胆沢都鳥村蝮蛇塚掘出刀」として掲載されている。「掃部長者物語に大蛇に化身した長者の妻の角を埋めた塚と呼んだ水沢地方の民話伝説」とともに載せている。・・・陸奥のものにして関西には無し。

 

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蝦夷塚には、蕨手刀が副葬されることが多い。

 

〔著者〕

角塚の蕨手刀は、朝廷の役人ではなく蝦夷にささげられたものである。掃部長者の妻を、先に述べた蝦夷の酋長と捉えれば、「蝦夷の角」は、蕨手刀といえるのではないか。

 

ウィキペディア

蕨手刀、平安時代擦文時代(北海道)、8世紀、東京国立博物館

 

文献でもっとも古い使用例は明治15年(1882年)に松浦弘(武四郎)が編集した図録『撥雲余興』第2集である。岩手県角塚古墳から出土した刀と東大寺正倉院伝世の刀の図を並べて「蕨手刀」と記載している。