赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

安部小次郎と安部肥前は同一の系統であるかについての考察

理屈で説明するならこうなるか? 赤荻安部系統は、「安部家系図及阿部家由緒略記」から衣川阿部氏の末裔と伝わる。「赤荻・荻荘系譜」によると、外記之介は佐沼城主(検証では城臣ともいう)で「下袋阿部氏の祖」とある。史料上は出自、所領は不明である。外…

安部外記之介のルーツ(推定考察)

㊀外記之介 出自の記載がない。 【研究紀要30集・63】 荻荘16代正綱 女 鶴子 佐沼城主※安部外記之介の妻。天正18年葛西氏滅亡の際浪人 生家に帰る。文禄3年甲午6月5日没す。註 下袋阿部氏の祖 【研究紀要40集・24】 ※「佐沼城臣」が正しいと思われる。佐沼城…

伊達世臣家譜の平士「阿倍」は、晴信感状の偽書の疑いの影響を受けない

伊達世臣家譜の平士「阿倍」に、「小次郎重綱というもの、葛西氏に仕えて天正の頃磐井郡赤生津に居り、五千刈の地を領す」とあり、阿倍一族である伊達藩士「阿部隋波」の出自が示されている。伊達世臣家譜とは、第一巻序によると、諸臣の家格・待遇の公的な…

伊達世臣家譜で小次郎を祖という「隋波」とは、何者か?

伊達家臣阿部隋波は、「中里村史」(117頁)によると、「元和5年(1619)赤荻に生まれ。山目に出て木材を買い、北上川の流水を利用し、石巻に輸送して巨利を博した。江戸の大火では、石巻に蓄積の木材を江戸に搬送し、数万両の利を収めた。銅山業に尽くす。…

畑屋敷の安倍家系図は火災消失でなく、キリシタン弾圧など寛永年間の不慮の紛失である

▼9代 孝内(推定1725-1795) 【畑屋敷所蔵系図】 「江戸にて死去 跡相続不叶となり四郎兵衛の弟小四郎の嫡子勘太郎跡継とする」・・・切支丹と関係あるだろうか。今後の課題 ※前沢町史では 1792年 赤生津最後のキリシタン類族とある。 ▼12代孝内(推定1785-1…

【最終稿】第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証

左近が小次郎である出典、天和三年(一六八三)赤生津村改名者は一〇人を加えました。 修正に関してご指導いただいた皆様ありがとうございました。 「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家…

【第6校】第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証

【修正箇所】小次郎感状は阿部随波が所蔵していたことを加えました。 「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証 一 概要 豊臣秀吉の奥州仕置による…

著者・偽書に関して

【著者・偽書に関して】 今後の研究課題として、気仙兵乱に関わった安部外記之助と安部小次郎の軍功を表す葛西晴信感状に対する偽文書の疑いについて、何らかの意見が加えられなければならない。気仙兵乱に関わる葛西晴信感状は、石巻市の平成3年の研究によ…

小次郎宛晴信感状は、仙台藩士「阿部隋波」系統が所蔵していた⁉

【奥州市歴史遺産課 高橋氏】 仙台藩士阿倍家が所蔵している旨が「伊達世臣家譜」阿倍に書かれてあるという。(※ご教示ありがとうございます) 「伊達世臣家譜」阿倍 「葛西晴信賜感状、今蔵ニ干稠賀之家」とある。山目村の阿倍6代稠賀が所蔵とある。 仙台藩…

【最終に近い6校】第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証

「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証 一 概要 豊臣秀吉の奥州仕置による葛西没落後に、葛西旧臣から伊達家の家臣となった一族は多い。百石以上…

伊達世臣家譜に小次郎「赤生津に居り、五千刈(8町歩)の地を領し」。寛永には4町7反か

伊達世臣家譜の安倍小次郎は、「天正の頃(1587年頃)磐井郡赤生津に居り、五千刈(八町歩)を領し」とあり、「岩手県史」第4巻(71頁)の寛永19年(1642)検地帳には、畑屋敷安部三四郎4町7反4畝27歩で持高3〆(貫)857文とある。 小次郎が畑屋敷安部で…

藤原姓を称し、衣川安倍氏の末裔を伝える阿倍氏の系統とは?

葛西氏家臣団事典(11頁)の赤荻安部氏では、「西磐井郡の阿部(安倍)氏は衣川阿部氏の末裔と伝わり、……」とあるが、「安部家系図及阿部家由緒略記」が出典であると考えられる。 もう一方では、安部外記之介は、藤原泰衡の嫡男「良親」を祖とする荻荘家と血…

安部小次郎の甥の孫「阿部随波」はなぜ、伊達世臣家譜で、出自を「藤原姓」を称するか?

「伊達世臣家譜」阿倍 (岩手県南史談会 研究紀要資料集(その二)復刊紀要119頁 阿倍隋波と仙台藩の庶民知行 及川大渓) 姓は藤原、阿倍大学の次男讃岐を祖とする。その祖小次郎重綱(※1)というもの、葛西氏に仕えて天正の頃磐井郡赤生津に居り、五千刈の…

第7報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証【第5校】

「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第7報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証 1 概要 豊臣秀吉の奥州仕置による葛西没落後に、葛西旧臣から伊達家の家臣となった一族は多い。百石以上…

第7報の見直し

葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証 (問題の設定) 前沢町史では安部小次郎は赤生津から赤荻に帰農し、一関側では赤荻に帰農の史料は未見という地方史の相違点を解決する。 (どのよう…

第7報 葛西家臣安部小次郎系統と「白鳥村舘から移住した赤生津安部系統」に関する検証【第4校】

「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第7報 葛西家臣安部小次郎系統と「白鳥村舘から移住した赤生津安部系統」に関する検証 1 はじめに 前沢生母赤生津地域には、安部姓が多く、古代東北の雄として名を馳せた安倍氏の子孫であるという言い伝えがある。この研…