赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

照井太郎開削「穴山堰」の通り道 ~穴山上堰から一三軒ため池~

中沢溜池から 駒込堤まで

1690年上胆沢・下胆沢の図

1690年上胆沢・下胆沢の図

北上川の北岸には白鳥八郎泰家、照井太郎高春…など一族諸武将の邸宅並び(県郷土誌)

照井太郎と白鳥八郎は別々の館にいた。同一人物ではない。 比与鳥七郎則任は白鳥八郎と同一人物ともいわれる。 赤生津安部は、照井太郎のいた照井舘にいた。比与鳥七郎の子孫という。 赤生津安部は、白鳥八郎(子孫)であろうか。このように推測できる。 県…

照井舘の照井家(藤原家臣)は、現胆沢ダムの場所から前沢白鳥川まで穴堰などをとおした。胆沢平野は南側が高く、北側が低い地盤。高い地盤に水を流し低地に行き届くように設計したのか?

赤生津安部家は照井舘の出身である。照井館には代々、照井太郎が住み、胆沢平野の穴山堰を開削していた。その穴山堰は、胆沢平野で白鳥川の北側高地に平行に掘られている。高地から低地へと水が流れるようにかと思われるが、地図を見ると現胆沢ダムからトン…

平泉町長部「大師さま」は、僧形八幡神か?

白鳥舘の東の北上川沿いにある「大師さま」 なぜこの地域に石像があるのかなぞ(平泉町住民) 【著者】 大師さまは、1100年頃の像で、天台大師と伝えられているが、詳しいことは知られていない。 黒石寺の大師とも似ている。黒石寺の大師は、「僧形八幡伸」…

門外不出の系図「藤原泰衡の実子」

解説【市世界遺産登録候補地ガイドの会 後藤和夫氏】 時衡 父泉冠者泰衡 嘉應元年正月ニ生レ文治五年九月三日頼朝ノ先鋒畠山重忠ト戦ヒテ討死セリ年二十 (嘉応元年(1169)、文治五年(1189)、長男) 秀安 父泰衡 安元二年ニ生レ父兄死去ノ時年十四ナリ叔…

前沢古城(旧小山村)の阿部家は「藤原泰衡の実子」(系図は県史にも公表)。一関の泰衡実子とは別の兄弟。

【旧小山村本郷 先人達の足跡 55】 【著者】 古城の明後沢遺跡の南下100mの雑木にうもれるように石碑があるという。現在の地主もはっきした場所がわからないらしい。明後沢遺跡は昭和30年代に発掘され、藤原時代の瓦なども出土。中尊寺の寺領ともいわれる場…

由緒書「比与鳥七郎(則任)の前室は厨川柵の堀に沈む」とあるが。

(著者) 盛岡市天昌寺に厨川柵の堀の跡といわれる場所がある。前九年役で追われた安倍則任の妻が身を投げたといわれるが、堀にしては浅いのではないか。 盛岡駅周辺で北上川も近いが、それほど深い淵はなさそうだと思う。 前沢の白鳥舘脇の北上川であれば、…