赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」。さらに阿弖流為時代にさかのぼり、祖先安倍高丸を追う

2024-01-01から1年間の記事一覧

胆沢平野の稲作発展→角塚前方後円墳(700年)→阿弖流為降伏→前九年合戦→奥州藤原氏。安倍氏は、胆沢の稲作開拓から金山経営、戦死者のための寺院建立へ

・胆沢平野の稲作発展 出店断層で知られるように、胆沢平野には、段差がある。盆を斜めにすることにより、川が、何千年かけと横滑りし、扇状地ができている。これを水陸万頃という。 水陸万頃HPより 「続日本紀[しょくにほんぎ]」延暦8年(789)の条は、胆…

阿弖流為の弟がモレ、モレの弟が大武丸、その子が人首丸か? いずれも前九年合戦安倍氏の祖先か

前九年合戦安倍氏の祖先は、阿弖流為、モレ、大岳丸、人首丸か 一族の関係図 ①阿弖流為→弟→大武丸 ②モレ→弟→赤頭高丸 ③大岳丸→子→人首丸 ④大岳丸=赤頭高丸 根拠 ①阿弖流為→弟→大武丸 奥州藤原氏 平泉文化の母なる地奥州 えさし郷土文化館 P41 ②モレ→弟→赤頭…

大墓公阿弖流為の祖先は、胆沢の角塚前方後円墳の被葬者か

阿弖流為 樋口知志 2013年 10P 角塚古墳に葬られたのは地域社会の王・・・大崎平野の古墳文化勢力と深い関係・・・伊沢地方で大型古墳が角塚古墳1基だけしか造営されなかったことも、東北地方と中央政権との関係の変化による影響を受けている 角塚古墳造営…

『前九年合戦、安倍氏一二柵の新たな視点』

地域の来し方探る 県南史談会 研究紀要発刊【一関】|Iwanichi Online 岩手日日新聞社 岩手県南史談会研究紀要 第53集 発行 『前九年合戦、安倍氏一二柵の新たな視点』ー比與鳥柵と鶴脛柵の所在地を追ってー 水沢・江刺・前沢図書館、北上市図書館、金ヶ崎…

悪路王は阿弖流為か、安倍高丸か

陸奥国には5人の首長がいて、その中に、阿弖流為、モレ、安倍高丸がいて、いずれも、安倍氏の後継者であると見える。当初は、坂上田村麻呂とともに陸奥を開拓していた。安倍高丸は、開拓者の一人であるが、朝廷側から敵対視され、一方的な鬼あつかいをされ…

宗任の娘が、藤原基衡の妻となった経緯、根拠は

のうじんあいしゃろく 413 大阿弥陀堂跡 基衡妻女の麗屋なり。その妻女は宗任が末女なり。前九年合戦平均して宗任が源氏へ降参するとき、家臣鳥海庄司左衛門安方、彼息女を具して戦場を免出で、稗貫郡松林寺村に隠れ居て、密かに養育して成長せしとなん。そ…

東街道は、阿弖流為と安倍氏の合戦に官軍が北進した道。街道沿いには、戦死者を弔う十一面観音(阿弖流為)、八幡神社(義家)が並ぶ

モレが住む生母の西舘観音には、慈覚大師の十一面観音

羽田町羽黒山の塚は、阿弖流為・モレ(9世紀)と貞任(11世紀)の戦地跡。塚を掘り起こすと血の雨の伝説

土師器出土の時代は安倍氏の11世紀の時代である。

羽田町羽黒山「米ヶ滝」は貞任が「米の滝」を演出し、義家と戦った場所

羽田村志資料220 鍋ヶ淵 附 米ヶ瀧 鍋ヶ淵は小田代川の一淵にして字鶯澤鍋ヶ淵にあり傳へ曰く昔源義家羽黒山に陣せる安倍貞任を攻めし時貞任羽黒山の陣の要害なるを示さんとして白米を崕(崖)に流して大瀧の懸(かか)れる如くす義家北鵜木八幡社の辺に對(…

羽田町「北鵜木舘」は、安倍貞任が姉体村で義家と対戦した時の砦か

羽田村志資料上巻 159P 北鵜木無名城址 壘(塁)内蝦夷系の土器石器土師土師器等多くの存せり本城址特に当地方に於ける蝦夷征伐史上重要なる材料なれば永久保存の必要あり。 塁とは土を積み重ねてつくった構築物 姉体の歴史206 八幡神社 源義家公が賊党安倍…

阿弖流為・モレを攻める官軍の陣地か。赤生津剣林

北上川を西に見下ろせる高台に、剣林権現がある。北進する官軍が戦場祈願にとどまった陣場であろうか。 古代における胆沢開発史考161 前沢町生母(赤生津村と生母村合併の地)の字剣林(けんばやし)(古老の話によれば最近までつるぎはやしと称されていた)…

安倍の祖先「安倍高丸」やモレを追う朝廷軍。赤生津村戦場

北上川から赤生津村に侵入した朝廷軍は、あづま海道を通り北進する。阿弖流為、モレ、あるいは高丸も加わり、北上川東側におびき寄せたのではないか。これは追撃ではなく、阿弖流為側のおとり作戦である。 赤生津の青木地区から東街道へ入る。ここは、束稲山…

安倍氏の祖先、母礼(モレ)の弟、赤頭高丸を追う

前九年合戦からさかのぼる事200年、9世紀は、阿弖流為、モレの時代である。このモレの弟と云われる伝説の赤頭高丸を追う。赤頭は、前沢生母赤生津の「あこうず」からきているといわれる。これもまた、朝廷側からは蝦夷の鬼もあつかいをうけている。赤頭高丸…

官符による宗任と正任の行方。則任は命乞いをする醜悪な人物、ではない

陸奥話記の成立124 官符 1 宗任は、衣河関を破りし日、鳥海楯を去り、兄貞任が嫗戸楯に籠り、相共に合戦せり。 2 正任、衣川関を落とされ、小松楯に逃げし時、伯父僧良昭を相具して、出羽国に逃げ去る。 126 衣川柵よりも小松柵のほうが北にあると読める。…

外史には黒沢尻柵の合戦がない。

外史100 瀬原→鳥海→9/14厨川へ進発→9/15厨川 仙台叢書437 鶴脛柵迹。相去村 黒沢尻四郎正任此の柵に籠城。官軍と当闘戦けれども戦利あらず。遂に此の柵敗亡して正任源家へ降参する。 (著者)厨川→(黒沢尻)→比與鳥鶴脛 ではないか。外史によると厨川後に比…

楯代館(比裏六郎重任居館)衣川

藤原業親柵=泉ヶ城(四方川に囲まれた城)  公米の収納場所、兵糧の蔵か

高山掃部長者269 義家は衣川柵に迫った。 衣川柵では貞任を総大将として北股川岸を叔父(小松柵?)に守らせ力戦奮闘断固として柵を守った。清原武則の家来はその精鋭十五人を選び暗夜嵐に乗じて川を渡り北岸の陣営(藤原業親柵=泉ヶ城?)を焼打ちしたなど…

比與鳥七郎則任の前九年合戦の動向

外史87 小松の柵合戦 比與鳥黒澤の三千の兵卒共捲り立てられ、敗走するを貞任下知して云いけるに敵は小山を・・・ 90 石坂の柵 黒澤比與鳥等合わせて20余人雑兵五百余人引き続いて・・・ 96 衣川の柵へと落ち行ける黒澤比與鳥の両将も士卒をつれて共々は一…

貞任の拠所なれば是をおさえ攻め落とし貞任を討ち取れ

外史108 厨川この大将貞任の拠所なれば是をおさえ攻め落とし貞任を討ち取れなれば其余の諸塞の兵を労せずして降附せんと 軍き一決して先ず厨川へと押し寄せる。

瀬原柵、上麻生野柵

衣川関周辺

陸奥話記概要

1 奥六郡の司、安倍頼良とは 六つの群をとりまとめる安倍頼良という者がいた。陸奥の国を代々長い間治めてきて、評判がいいし、地域住民から信頼され、安倍氏に従っていた。 (しかし国府が言うには)安倍氏は、六郡を勝手気ままにし、人民をおびやかしてい…

陸奥話記の鶴脛・比与鳥

陸奥話記の成立 342 厨川に向けて鶴脛・比与鳥を発した【同14日】・・・ その多くは新たな情報を得たというより、前後の展開からの合理的な推測によって補入されたものとみられる。

陸奥話記は何のために書かれたか。誰が書いたか

陸奥話記 板橋源 11 大衆文学のような作家が方のではなく、太政官に使える最高の立場にある人が今後の政治をして行く上で参考にしようと部外秘で書いたもの。 国解、陸奥の国守から報告された文書を注釈し、実際に陸奥国に行って安倍氏と戦った人たちが、都…

なぜ、陸奥話記は捏造されたか

〇永衡と部下をさらし首に 永衡は当初官軍であり、安倍頼時の婿であり、鬼切部合戦では、官軍を裏切り、親戚の安倍宗任を助けた。裏切り者として、阿久利河で惨殺された。 〇厨川合戦の後の比與鳥・鶴脛城攻め 執拗に攻めたか 主将である貞任をはじめに仕留…

阿久利河事件は、①太刀洗川事件、②鷹の勢子事件、③永衡獄門(さらし首)の順で起こり、衣川関を閉鎖、闘争、多賀城へ追いやる

①太刀洗川事件 ・・・妻にほしいといった貞任の部下が斬首される ②鷹の勢子事件 ・・・貞任が貞國を追い払う、部下を殺す ③永衡獄門(さらし首)・・・裏切者の永衡を源氏が殺し、貞任兄弟のせいにする

頼義任期迫るとき、「我が鷹を捕らえる勢子を門外(定國邸宅)に追い出した無礼者」と貞任は、貞國の従者二三十人を殺戮したという。

8 貞任大勢を率いて馳せ来たり門前に馬かけすえ大音あけ東奥の首長厨川次郎太夫貞任を知らざるか今我が鷹を捕らえる勢子共を門外に追い出したるこう無礼なれ貞任が命令に従わざる者当国に住する事は許しがたし自今家邸を退散し何國へなりとも逃げ去るへし・…

【鬼切部合戦1051】永衡(安倍頼時の婿)は、官軍でありながら、襲われる宗任をを助け、国司重成を討った。

7 頼時の婿なりける伊具十郎(永衡)六百余り騎を領して宗任を援けて重成は討って掛かれば合戦三方に分かれ、しばし勝敗も見えざりしは、・・・

阿久利河原

23 阿久利河原に於いて一同に獄門に掛けられれば此の手の兵卒主の誅せらるるを聞き一人も残らず皆逃げうせる。又亘権太夫経清は軍略武勇兼ね備えたる大将頼時の股肱(頼みとする部下)頼みし者として同じく内慶せんと謀りしも今は叶うまじ 衣川へや立て籠も…

八幡太郎義家が胆沢城から引き上げる際に夜襲を受けた場所は、奥州市水沢姉体「安久戸」現水沢競馬場

南都田村史 高山掃部長者 268 任期満了となり悠悠胆沢城からひきあげ帰国の途につき、真城の阿久刀に宿をとった晩,家来藤原光貞の陣屋が夜襲をうけ大混乱を来したので義家父子は大いに怒り、頼時に談判して下手人を出させました。 古代における胆沢開発史考…