2024-01-01から1年間の記事一覧
江刺史 4巻176P 一夜館(上門岡) 北上氏稲瀬町字熊沢 (由緒)前九年の駅で安倍貞任(家任カ)が、鶴脛柵を追われて逃げる際、一夜の宿としたところという。また源頼義が黒沢尻柵を攻めるにあたり、白狐の案内でここに一夜にして館を築き、そのため勝利し…
則任の妻は、「土師ノ中納言敏素」息女という。これは、仙台叢書の野史にある。 中納言は閣僚であり、この時代に陸奥に来た閣僚の子孫は、菅原道真氏関係の子孫しかいないのではないか。これは著者の意見だが、900年代に菅原道真氏の妻が、現奥州市前沢生母…
前九年合戦の正史を覆すようだが、仙台叢書には、比與鳥柵を衆人が白鳥舘といっている。比浦柵の項でもそうであえる。 則任は、白鳥舘に籠城し官軍と戦い、加藤修理景道・清原荒川太郎に攻め落とされるとある。則任の妻は、所々の柵攻め抜かれ、白鳥柵の敗亡…
(著者) 則任の妻は、敗戦により敵軍の妻に差し出されるのを嫌がり、夫のためにも、自害を選び、三歳の子とともに、堀の水に沈んだ。列女と云われる所以となる。 前太平記には、則任と妻の出会いが描かれている。妻は、「土師氏」の子孫というが詳しくは分…
前太平記の「安倍則任の恋物語」とある。 えさしの歴史 155P 「岩手県管轄地誌」には、照沢村の條に、東舘、西舘と言わずに、一を安倍五郎家任の鶴脛館、一を七郎則任の居所比与鳥館となし、同所にありとしている。 ・・・シロトリの訛称が、他地方から来た…
前九年で井殿は盲目のため無罪で生き残る。胆沢愛宕に多い「安倍家」は、井殿の家臣一族
義家と貞任が戦う姉体町宿 義家の陣場となった姉体町の宿場。黒石町鵜木城の貞任と戦う。跡には八幡宮が
胆沢愛宕の鹿合城は、砂鉄採取と鍛冶。刀もつくられたか
矢尽山「僧寺」 胆沢ダムからひめかゆ温泉の山 義家が貞任と良照を追い、僧寺の山を焼け尽したという。矢尽山という ※胆沢町史
安倍氏の親族である清原軍(秋田県)が官軍を安倍氏の城柵に誘導する。清原軍は、安倍氏の軍事作戦を知る。敵軍清原氏の従弟(母親が清原氏)である宗任、正任ははじめから逃げる覚悟であった。母親が清原氏でなく、金氏の安倍貞任、重任、則任がおもに官軍…
極楽寺(北上市稲瀬町)に境講師が任期中在住。その後胆沢(胆沢ダム)「僧寺」在住。前九年合戦では、小松柵(一関)を守るが、胆沢の「小松の谷木」から秋田街道通じ秋田県大仙市の「唐松城」へ逃げる。義家軍に攻め滅ぼされる。
貞任を追う八幡太郎義家軍のルート ①衣川館から馬留(胆沢ダム) 衣川館→一首坂→兎口館(胆沢愛宕)→大歩→小歩→永徳寺→首無沢(金ヶ崎)→門ヶ城(愛宕原・愛宕小学校)→法願館(鹿合・胆沢愛宕)→猪鼻館・栄の花(胆沢ダム記念館)→橋渡し→矢尽山(ひめかゆ…
鳥海、厨川落城後に、比與鳥、鶴脛が攻められる。はじめは、比與鳥で則任が奮闘するが敗れ、次に鶴脛に行くが、恐れおののき逃亡した。 鶴脛城に城柵はあり、木や岩が投げられないか注意しながら登ったというから、ある程度高台にあるはずである。
宗任、正任の母は、清原氏であり、敵である従弟や親戚に追討される。 貞任、則任、重任の母は、金氏であり、清原氏と直接の血縁関係にない。官軍、清原氏に殺されたのは貞任、重任である。
白鳥舘本丸の北側は崖で、登ろうとする官軍に木や岩を投げ落とせるには十分な高さかと。 白鳥舘は南側は平坦地で攻められやすいが、北側の崖からは攻めにくい。 地方史から見ると前九年合戦で官軍は貞任を追い、瀬原柵→照井舘陣場→大麻生柵→白山→姉体と攻め…
前太平記 135P 主将比與鳥二百人を引き連れて降参。 鶴脛 比與鳥すでに陥落し、士卒逃走し、残りの士卒は大将(則任)とともに降参したとつげられ、