赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧

生母の家々の由緒

赤生津村鈴木家(荒屋) 長根屋敷鈴木家より元禄初年に分家。初代、二代、四代は赤生津肝入役。五代兵之助は赤生津肝入、長部村・小島村肝入も兼任。六代市左衛門も三村肝入役、天保四年の大凶作に貧民救済のため金を献上、苗字帯刀永々御免となる。七代文三…

赤生津安部家の疑問にこたえる 石巻博物館所蔵の赤生津安倍氏「葛西晴信感状」

葛西没落の直前には、葛西晴信から感状を賜る。これは浜田の乱で功績があり、赤生津村に五千刈が給付される証書。その恩恵により、この土地には、分家の赤生津安部家23軒が住んでいる。 赤荻安部氏の子孫である仙台藩士の阿部随波の家系が所有していた赤生津…

赤生津安部家の疑問にこたえる 赤生津安部氏の出自を尋ねて 赤生津安部の祖は安倍則任 (岩手県南史談会研究紀要第53集)

発掘された赤生津安部家系図 安倍頼時七男白鳥七郎則任は、衣川、厨川の両城の落城により、その後降参し、胆沢白鳥村(牛類または手類)舘に居住し、先妻は厨川の堀に沈んだ。その後、妻を娶る。その子孫が同所にやや久しく居た。その後、鎮守府将軍藤原之清…

赤生津七軒 畑屋敷(安部家)

「十郎左衛門を祖とする安部家がある(20代続く)。【二】の安部家との関係は不明 ? 【二】磐井郡赤荻安部家(一関市) 祖の安部外記之介は、天正15年の本吉郡(宮城県)志津川城主元吉大膳大夫と気仙郡浜田城(陸前高田市)城主浜田安房守広綱の対立による…

赤生津七軒 

宿屋敷(大石家) 中世後期に赤生津城白鳥氏の家老を務めた家柄。 寛永年間から明暦三年まで茂右衛門が初代肝入。 茂氏は生母村長、前沢町文化財委員。 箱根屋敷(三浦家) 先祖は相模国三浦半島の豪族三浦氏の後裔、戦いに敗れ福島、次いで平泉に逃れて赤生…

生母村への貢献者

頌徳碑(しょうとくひ)という村に貢献した人を讃える碑が赤生津村に2ケ所ある。 鈴木文三郎氏は、生母村初代村長、製糸工場を設置、衆議院議員となる。 安部精蔵氏は、三期村長、開田や赤生津橋を架設した。

養蚕業普及と村の発展

束稲山麓の開拓により、棚田などの農地が増え、嘉永6年(1853)洪水で、白鳥舘を囲むように沖積地が広がった。桑の葉が栽培され、養蚕が盛んになり、赤生津村民は豊かな暮らしができた。 養蚕業は、宝暦3年(1753)安部家が先駆けて普及。水害が多い地域だ…

母体・赤生津から田河津村誕生と、切支丹弾圧

寛永19年(1642)、母体村、赤生津村の一部から、「田河津村(41戸)」が誕生。年貢を納めやすいように、束稲山の東側が独立した村。 赤生津村の一部であった「矢ノ森」は、藤原氏全盛期から金堀が盛ん。「藤壺の滝」「切支丹処刑場」などの矢ノ森八景がある…

生き残った赤生津七軒

赤生津村には21軒あった。乞食や、村からの逃亡、金山遭難、人を斬って逃げ去り、御判金に困り逃げ去りなどの事件が続く。赤生津村は7軒に減る(田河津村の独立も影響か)。これは、豊臣秀吉が金堀の年貢を重くしたため、「つぶれ」という貧困や、借金からの…

母体、赤生津村にも金産出

豊臣秀吉の天下統一により、全国の金山、金山が独占され、金貨・銀貨が鋳造。母体村、赤生津村では、藤原氏時代から白鳥氏が金山を経営。その権利は全て奪われた。 慶長17年(1612)、田河津村がまだなく、母体村や赤生津村に含まれていた頃。農家は、金堀(…

母体、赤生津の天正18年(1590)奥州仕置

豊臣秀吉の奥州仕置による葛西氏が滅亡し、白鳥村、目呂木村、赤生津村、田河津村、母体村を知行とする領主、白鳥民部少輔は、追討軍に追われ行方知らず。 秀吉が命令した小田原参陣に遅れたため、葛西氏領土が没収。遅れた理由は、葛西氏領内の豪族の争乱「…

【第1話】武士が帰農した村 「赤生津七軒」の足跡

~赤生津七軒の農村文化のあかし~ 赤生津神楽目録(山ノ神屋敷所蔵) 萩荘村、胆沢狼ヶ志田(おえなしだ)通じて、明治37年、赤生津に伝わる。台本には43演目あり、「八岐大蛇退治」なども演じた。大蛇の中は籾殻だったという。 鳥舞と八岐大蛇 行山鹿踊免…

生母の歴史ロマンと地域づくり②

1 夢と誇りのある昔物語 第1話 武士が帰農した村「赤生津七軒」の足跡 第2話 勇将モレを祀る「摩崖仏」、慈覚大師作「西舘観音堂」と「薬師堂」 第3話 安倍頼時と藤原秀衡の桜山「束稲山」の荒神 2 誇りと愛着を育む地域づくり、互助の地域づくり 小川に沈…

生母の歴史ロマンと地域づくり①

大昔、生母には、束稲山の鉱山資源と農業を開拓した祖先がおりました。 ところが、陸奥の資源をめぐって、朝廷と蝦夷の合戦に巻き込まれることが度々ありました。また、頻繁に、水害や干ばつに見舞われました。そこから、自然災害に負けない農業づくり、信仰…