2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧
外史100 瀬原→鳥海→9/14厨川へ進発→9/15厨川 仙台叢書437 鶴脛柵迹。相去村 黒沢尻四郎正任此の柵に籠城。官軍と当闘戦けれども戦利あらず。遂に此の柵敗亡して正任源家へ降参する。 (著者)厨川→(黒沢尻)→比與鳥鶴脛 ではないか。外史によると厨川後に比…
高山掃部長者269 義家は衣川柵に迫った。 衣川柵では貞任を総大将として北股川岸を叔父(小松柵?)に守らせ力戦奮闘断固として柵を守った。清原武則の家来はその精鋭十五人を選び暗夜嵐に乗じて川を渡り北岸の陣営(藤原業親柵=泉ヶ城?)を焼打ちしたなど…
外史87 小松の柵合戦 比與鳥黒澤の三千の兵卒共捲り立てられ、敗走するを貞任下知して云いけるに敵は小山を・・・ 90 石坂の柵 黒澤比與鳥等合わせて20余人雑兵五百余人引き続いて・・・ 96 衣川の柵へと落ち行ける黒澤比與鳥の両将も士卒をつれて共々は一…
外史108 厨川この大将貞任の拠所なれば是をおさえ攻め落とし貞任を討ち取れなれば其余の諸塞の兵を労せずして降附せんと 軍き一決して先ず厨川へと押し寄せる。
1 奥六郡の司、安倍頼良とは 六つの群をとりまとめる安倍頼良という者がいた。陸奥の国を代々長い間治めてきて、評判がいいし、地域住民から信頼され、安倍氏に従っていた。 (しかし国府が言うには)安倍氏は、六郡を勝手気ままにし、人民をおびやかしてい…
陸奥話記の成立 342 厨川に向けて鶴脛・比与鳥を発した【同14日】・・・ その多くは新たな情報を得たというより、前後の展開からの合理的な推測によって補入されたものとみられる。
陸奥話記 板橋源 11 大衆文学のような作家が方のではなく、太政官に使える最高の立場にある人が今後の政治をして行く上で参考にしようと部外秘で書いたもの。 国解、陸奥の国守から報告された文書を注釈し、実際に陸奥国に行って安倍氏と戦った人たちが、都…
〇永衡と部下をさらし首に 永衡は当初官軍であり、安倍頼時の婿であり、鬼切部合戦では、官軍を裏切り、親戚の安倍宗任を助けた。裏切り者として、阿久利河で惨殺された。 〇厨川合戦の後の比與鳥・鶴脛城攻め 執拗に攻めたか 主将である貞任をはじめに仕留…
①太刀洗川事件 ・・・妻にほしいといった貞任の部下が斬首される ②鷹の勢子事件 ・・・貞任が貞國を追い払う、部下を殺す ③永衡獄門(さらし首)・・・裏切者の永衡を源氏が殺し、貞任兄弟のせいにする
8 貞任大勢を率いて馳せ来たり門前に馬かけすえ大音あけ東奥の首長厨川次郎太夫貞任を知らざるか今我が鷹を捕らえる勢子共を門外に追い出したるこう無礼なれ貞任が命令に従わざる者当国に住する事は許しがたし自今家邸を退散し何國へなりとも逃げ去るへし・…
7 頼時の婿なりける伊具十郎(永衡)六百余り騎を領して宗任を援けて重成は討って掛かれば合戦三方に分かれ、しばし勝敗も見えざりしは、・・・
23 阿久利河原に於いて一同に獄門に掛けられれば此の手の兵卒主の誅せらるるを聞き一人も残らず皆逃げうせる。又亘権太夫経清は軍略武勇兼ね備えたる大将頼時の股肱(頼みとする部下)頼みし者として同じく内慶せんと謀りしも今は叶うまじ 衣川へや立て籠も…
南都田村史 高山掃部長者 268 任期満了となり悠悠胆沢城からひきあげ帰国の途につき、真城の阿久刀に宿をとった晩,家来藤原光貞の陣屋が夜襲をうけ大混乱を来したので義家父子は大いに怒り、頼時に談判して下手人を出させました。 古代における胆沢開発史考…