2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧
【岩手県姓名辞典・391頁】安倍・安部 胆沢郡胆沢町若柳に、安倍(あんばい)姓が多い。古くは安倍(あべ)であり当地の安部姓の家と同族であるという。安倍家は時代によって、安部または阿部を名乗っているが、明治の新姓にともなって本来の安倍に戻った家…
「金山技師による開削」説は、近年、富士大学学長による研究からである。照井太郎は、平泉藤原時代に、金鉱山技師とともに優れた技術で、奥羽山脈からの雪解け水を、胆沢平野の扇状地に水路で広げた技師である。 胆沢愛宕の「安倍」家は、岩手姓名辞典にも掲…
長者ヶ原遺跡
【赤生津初代肥前の愛宕堂】 畑屋敷北側の祠付近に、安部本家から分家し住んでいた人があり、愛宕堂付近に移住したが、日当たりが悪く?、現鈴木家の南側に移住した(山ノ神屋敷万王氏)。 【愛宕堂付近墓地】 青木地内の愛宕堂あとの北東に数十メートルに、…
【著者】 安倍頼時の七男則任「比与鳥七郎」の子はいずれも「太郎」を名乗る。長男「頼任」は安東に、次男「泰平」は安藤に改姓となる。「和任 比与鳥小太郎」は白鳥に残ったのだろうか。「比与鳥小太郎」は、照井太郎と改姓しただろうか?。 【「安倍・安部…
【照井年表】 1492年 照井太郎胆沢穴山用水堰小松入り口開削 1493年 照井太郎、照井堰開削と前後して、胆沢馬留穴堰掘削 【胆沢平野土地改良区HP】 【特集】胆沢平野の水の歴史を学ぼう (mlit.go.jp) の古代用水路「旧穴山堰」(きゅうあなやまぜき) 現在、胆…
「衣川安倍頼時の七男比与鳥七郎則任」 ネットで見ると・・・「比与鳥の柵」と関係あるらしいが。調査はまだこれから 安部則任のいた比与鳥柵として前記の善知鳥舘や陣が岡が擬定されているが、江刺郡稲葉瀬のツタの木説が有名である。 「比与鳥の柵」は、現…
「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第七報 葛西氏没落後に白鳥村舘から赤生津に移住した安倍肥前と、葛西家臣安部小次郎が同一人物であることの再検証 一 概要 伊達世臣家譜の平士「阿倍」に、「小次郎重綱というもの、葛西氏に仕えて天正の頃磐井郡赤生津に…