赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

第7報 葛西家臣安部小次郎と赤生津安部初代が同一人物であることの再検証(追加訂正)

【概要】 古代末期、陸奥国北部に威勢を振るった在地豪族に安倍氏がある。11世紀半ばの頼時は「六箇郡之司」と呼ばれ、衣川関を本拠とし、胆沢・江刺・和賀・稗貫・紫波・岩手のいわゆる奥六郡を事実上支配した。前九年合戦で源頼義の攻撃を受け、安倍氏一族…

安部小次郎感状

【生母教育史】 この度、気仙出陣の処、その方雄略をもって悉(ことごと)く勝利を得、大慶の至りである。之に依り賞として磐井郡黄海村にて、五千苅宛行(あてが)うものである。仍って感状件(くだん)の如し。 天正16年6月7日 晴信(黒印)

地方史に見られない「牛類之舘」。白鳥牛類の館「牛類(水制)」は、現代のテトラポット(消波ブロック)か

▼白鳥舘の西の船着き場には、波除のためテトラポット(消波ブロック)のような水制が3本見られる。 ▼対岸の赤生津川には、水制用の杭と思われるものがある。 ▼これはイメージ。聖牛工 【聖牛工】 牛は、棟木の長さにより、「大聖牛」、「中聖牛」等に分類さ…

白鳥民部少輔は葛西没落後行方不明。安部外記之助の先祖が白鳥氏である可能性は?

赤荻下屋敷阿部家にきく 安部外記之助の妻が赤荻の宮田城の出身であるという。外記之介の前の代は不明であるという。 大石喜清氏にきく 白鳥少輔一族との婚姻関係はあっても、大石家が白鳥氏ではない。白鳥氏は行方知れず。安部になったはなしもきいたことは…

赤荻安部家にも切支丹改宗。一関山目随波も卍墓字。葛西家臣磐井郡安部一族は切支丹か。であれば徹底した一族の出自の隠蔽の可能性。

赤荻下屋敷の初代安部外記之助の旧墓地内には、切支丹から改宗した「卍」墓字。享保16年(1731)。当主も知らない事実である。

初代安部肥前が住む「伊澤白鳥邑午類之舘」の「牛類」とは北上川の水制のことか?

【コトバンク 世界大百科事典第2版】 うしるい【牛類】 河川における水制の一種。日本独特のもので,その起源は奈良時代にさかのぼることができる。基本的には,杭状の部材を三角錐あるいは方錐体状に組んだもので,その形があたかも2本の角をもっているよ…

5代兵部所蔵系図はなぜ発見にあたるか。「磐井郡東山赤生津邑畑家舗安部家之系図」は切支丹調査で藩に没収されていた

【原本に近い系図を所有していた子孫】 長根屋敷の西隣の下屋敷安部家が所有していたが、古文書の内容までは把握していなかったようである。及川照男氏にきくと、所有していたのは下屋敷でなく長根屋敷南側の安部寿平氏ではないか。戦後まで屋敷はあったがい…

【発見した系図証明その1】由緒にある初代安部肥前(≒小次郎)が造立した愛宕堂跡と住居跡

▼赤生津初代安部肥前(小次郎、十郎左衛門)が白鳥舘からはじめて赤生津に移住した場所は、北上川と白鳥舘が見えるところ。 生母青木74 生母青木地内(畑屋敷から東に約600m)【愛宕堂跡】 18代嘉雄(2009没)の弟及川照男氏に聞くと、先祖から代々、正月…

4代将監三男下屋敷から原本安部系図発見。葛西17代まで家臣と明記。白鳥舘住人である。なぞは更に深まる

安倍家系図 磐井東山赤生津邑畑家舗安倍家之系図 虫食古損二附書写叓 安倍頼時之七男比與鳥七郎則任衣川厨川西城落城ㇾ而之没降人成伊澤白鳥邑午(手)類之舘住居先室厨川之堀沈没(俊)室ヲ女取テ其子孫同所良久其後(俊)鎮守府将軍藤原之清衡ヨリ三代使エ…

第7報 葛西家臣安部小次郎と赤生津安部初代が同一人物であることの再検証(初稿)

「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第7報 葛西家臣安部小次郎と赤生津安部初代が同一人物であることの再検証 岩手県南史談会 高 橋 一 彦 1 概要 豊臣秀吉の奥州仕置による葛西没落後に、葛西旧臣から伊達家の家臣となった一族は多い。百石以上の家臣を網羅…

赤荻下屋敷初代安部外記之助1590年(天正18)7月10日没の墓碑、赤生津安部へのつながり

▼初代安部外記之助1590年(天正18)7月10日没 ▼2代 上野1635年(慶長17年)没 ▼3代 大学1635年(寛永12年)没 弟は「赤生津初代安部小次郎」 赤荻下屋敷阿部家 ▼下袋屋敷系図 覚書 赤荻の分家の詳細が記されている。 赤生津は「安部小次郎左近-赤生津安部…

赤荻下袋屋敷阿部家20代徹夫氏に聞く、安部小次郎

【言い伝え】 奥州仕置きのころか。石巻から3人で逃げてきた。一人は日形(花泉町)へ行き、一人は赤荻に、一人は花巻へ逃げた。日形といえば黄海が近い、小次郎が葛西晴信からの知行宛行地である。先祖からの伝承である。 赤荻に逃げたのは、2代の上野であ…

赤生津安部の祖を証明する「安部小次郎あて葛西晴信感状」消失と、石巻市毛利コレクションで保管されるまでの経過調査

白鳥氏家臣大石家 大石喜清氏にきく 2021.6.6 大石家の系図は、記録では寛永年間(1624-1645)に紛失とある。おそらく取り上げられた。明治になってから商人の手元から入手したという。仙台藩が廃止されたとき、廃棄書類あるいは、払い下げを、収集家が買い…

「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて第7報に向けて(要旨)

「赤生津・安部氏」の出自を尋ねて 第7報 葛西家臣安部小次郎と赤生津安部初代が同一人物であることの再検証 高 橋 一 彦 1 はじめに 葛西没落により家臣から帰農、やがて伊達家臣に再起した旧磐井郡の安部一族がある。初代外記之介は軍功により葛西晴信か…

1590年(天正18)の赤荻は4世代家族、後の山目1世代、赤生津は2世代。浪人は豊前、小次郎とその子か

葛西没落の時、①赤荻下袋屋敷では、2代から4代まで3人が浪人、讃岐も浪人、②赤生津畑屋敷は、1代から3代まで3人が浪人となる。 赤荻下袋屋敷 直系 没 1590年時の年齢 1外記之助 天正18年7月10日 1590 70歳 2上野 慶長17年9月16日 1612 48歳 3大学【兄】 寛永…