赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

白鳥八郎則任は、前九年後は大分へ流れ。比与鳥(江刺稲瀬)七郎が前沢に残る?

 

胆沢平野は安部一族拠点の衣川の軍事に必要な食料を確保するため重要な農地と見て、水路を引く工事に重点を置いたのではないか。

兄貞任とともに胆沢堰から白鳥川へ水を引く開発にあたっていたのだろうか。前九年後大分へ兄宗任とともに流される。その後、胆沢堰の開発は、照井太郎が引き継いだのだろうか。

盲目の兄弟「日井」は胆沢に残されたが、堰の開鑿に関連していたのだろうか。

もう一人の兄弟「比与鳥七郎」は、白鳥村にいて、藤原氏に仕え、水路を開鑿したのか?

比与鳥村は、「比与鳥の柵」の江刺稲瀬か?

白鳥舘には、その後、源氏側(敵側)の血を引く白鳥氏(安部の血を引く)が居住する。

隣の照井舘には、照井舘が胆沢から白鳥までの堰をひくために工事期間中居住したのか。付近の前沢城の前身「昔舘」には、安倍子孫がいたという。照井舘も前沢城の住所も「陣場」ということから関連あるのか。この安倍子孫が「比与鳥七郎」ではないか。これがあらたな仮説である。

 

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安倍頼時の子孫の行方は? 「安任 比与鳥七郎」とはだれか? 比与鳥村どこか?

安倍氏シンポジウム】

宗任と則任は九州へ流され、兄弟はほぼ戦死。

「安任 比与鳥七郎」とはだれか? 比与鳥村?どこか

 白鳥村の前身か?

 

【シンポジウム系図

〇貞任  戦死

〇宗任  

※宗任は家臣と長男・宗良、二男・仲任それに三男の季任と共に筑前(福岡県)の大島へ配流

 

〇正任  戦死  居於奥州和賀郡黒沢尻邑因双為氏

〇家任  戦死 

〇則任    

 ※宗任とともに頼義にくだった

〇安任(比与鳥七郎)居於列ノ比与鳥邑双為衡?

 

 

安倍頼時七男「比与鳥七郎則任」に関する系図

安倍氏シンポジウム報告書】

67P 安田弘氏貞享「安部系図覚書」

 

則任 比与鳥七郎 罪二●シテ 京師二至?

 

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71P 安倍昌任氏貞享 系図

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山ノ神屋敷 養蚕「かごわらだ」

 

「わらだ」と同じく竹製の「わらだ」を「かごわらだ」と言います。蚕の孵化から上簇までの期間、飼育に使われる道具で、竹を籠状に編んで使うことからこの呼び名があります。この「わらだ」に蚕と桑をのせ、繭になる直前までこの中で蚕を育てます。

 

 

 

山ノ神屋敷古文書⑥ 赤生津神楽台本

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神楽の台詞などが書かれている。登場するのは、天照大神素戔嗚尊、八岐大蛇など。

昭和戦前に、山ノ神屋敷11代安部貞美氏が、赤生津神楽で八岐大蛇を演じた。

「目録」とあることから安部家が神楽を習得したのではないか。

 

今回も、胆江日日新聞社の宮本文化部長さんに教えていただきました。ありがとうございます。