赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

鶴脛柵は、北上市相去「相去城鶴野館」と、稲瀬「鶴脛柵」の2か所ある?

 

 

仙台叢書 のうじん・・・437P

鶴脛柵迹。相去村

是は往昔安倍頼方を居せしむ。前九年の戦には頼時が。四男黒沢尻四郎正任此柵に籠城。官軍と闘戦けれども戦利あらず。遂に此柵敗亡して正任源家へ降参すると在り。此驛より一里行きて和賀川あり。南部領、仙台領の境なり。

 

江刺史 4巻176P 一夜館(上門岡) 北上市稲瀬町字熊沢 (由緒)前九年の駅で安倍貞任(家任カ)が、鶴脛柵を追われて逃げる際、一夜の宿としたところという。

 

(著者)

〇相去の鶴脛は北進途中の柵

貞任が追われた鶴脛柵は、相去村の「鶴脛柵」ではないか。義家は貞任を追い、鳥海柵から黒沢尻柵へ向かうが、その途中相去城の鶴脛柵で戦い、上門岡一夜城から、黒沢尻柵を攻撃する流れではないか。

〇稲瀬の鶴脛は、厨川敗亡し、則任を追い南下して戦う柵

稲瀬の鶴脛は、厨川の後で、比與鳥の次に倒される柵で、空城である。

 

両方の城とも、北上川の両岸で、その間は直線で6キロメートルである。