赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

北上川東「東海道」から貞任軍を追う義家軍。正法寺→黒石高清水→岩谷堂→上門岡(稲瀬)→展勝地陣ケ岡(畳山)

 

仙台叢書 のうじん440P

正法寺。黒石村

黨(とう)陣場

前九年の合戦に。源義家の軍兵の陣所なりと云。今は正法寺の墓場といなりて在り。

〇岩谷堂

水飼池迹。驛裏に半點(すこしき)堤あり。水飼ノ池と云。前九年の合戦に。官軍源家の陣営なり。源義家の乗馬に餌水を飼ける池なり。

〇上門岡

別山

 

〇展勝地陣ケ岡(畳山)

黒沢尻26区を振り返って 船場ものがたり 17P

義家が川岸の黒沢尻柵に立てこもる黒沢尻五郎正任の陣めがけて火矢を放って攻め込んだ。今の若宮八幡宮の地(北上駅西)は、その本陣であったと言われる。