赤生津・安部氏の出自を尋ねて

衣川安倍氏から葛西家臣、没落後の帰農、そして伊達家臣へ再起を果した赤萩・赤生津安部一族を追っています

2021-05-03から1日間の記事一覧

1600年伊達家臣の陣に「安部讃岐」(小次郎甥)が参加か?

小次郎の甥讃岐は、伊達家臣の戦にも参加していたのだろうか? 白石御陣に馬上参加したときの扶持米の領収書 【葛西氏研究12号 67】 ※扶持米は、米で支給される禄米。1人扶持は1日1人玄米五合の割で、1年に1石8斗が支給される。【仙台藩歴史用語辞典】 【大…

赤生津畑屋敷の正月飾り「魚の切子」はキリシタンの遺風?

安部本家畑屋敷には魚の切子を飾る風習があった(飾りは年数がたち網目が切れている)。キリシタンである事実は言い伝えでは残っていないが墓地にはキリシタン墓字がある。 【全国かくれキリシタン研究会会誌15】 東山町における風習に隠されたキリシタンの…

弾圧から耐え忍ぶ愛に時代が共鳴したのか、「大籠キリシタン殉教 そのこころ」講演から

【平成27年記念講演「大籠キリシタン殉教 そのこころ」 カトリック水沢教会担当司祭 高橋昌先生】 殉教者は、人々への愛のため、いのちをささげましたキリシタン時代には「愛」ということばを使わないで「お大切」といいました。 イエスの山上の説教の「八つ…

「新しいキリシタン学」構築へ大籠殉教物語から

大籠(藤沢町)は、製鉄とともにキリスト教が広まり、世界史上まれにみる激しい迫害を受けた地域です。多くの信者が迫害を受けても、「愛(お大切とよんだ)」をもって耐え忍ぶ「徳」をつらぬいた結果なのかもしれません。 【紙芝居「大籠キリシタン殉教物語…

1590年葛西氏滅亡時の赤生津安部の家族構成とその行方

【当調査】 1590年奥州仕置きにより葛西没落時には、赤生津に安部は、2世帯あったと推測される。小次郎から見て、①4人世帯…父上野と兄大学、妻、その子、②3人世帯…小次郎と妻、その子。 赤萩下袋屋敷(袋屋敷戒名碑没年と、平均寿命70歳とした場合) 1安部外…