赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

弾圧から耐え忍ぶ愛に時代が共鳴したのか、「大籠キリシタン殉教 そのこころ」講演から

平成27年記念講演「大籠キリシタン殉教 そのこころ」

カトリック水沢教会担当司祭 高橋昌先生】

 

殉教者は、人々への愛のため、いのちをささげましたキリシタン時代には「愛」ということばを使わないで「お大切」といいました。

エスの山上の説教の「八つの幸い」には、「義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」。

コリントの信徒への第一の手紙では、「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義をよろこばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」と、「殉教者に通ずるそのこころ」を強調しました。

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 藤沢町の殉死した場所には十字の墓石