赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

2024-04-13から1日間の記事一覧

黑澤尻柵 正任城中へ八幡太郎引き入れ搦め手より逃げる(前太平記)

前太平記 四郞正任は八幡殿の襲ひ來り給ふと聞きて、「何樣にも手痛き戰あるべし。義家ほどの猛將が、しかも大勢にて寄せ來るに、我これに對して戰はんに勝利を得んこと難かるべし。然あればとて一戰もせで聞逃にせんこと天下の人口も恥づかしければ、敵を待…

安倍軍は鶴脛城の城後の山より抜けて空城となる(日本外史)

日本外史137頁 城後の山を伝わりて夜に紛れて逃げる。 寄り手を塀に誘い木石を投げかけて圧殺されないように進むなと・・・ 鉤縄を取り出し石垣へ投げかけて、馳せ登り城に入りて・・ (著者) 鶴脛城は城壁のある城、後ろが山つづき、北上相去の「相去城」…

比與鳥(柵)城には、大木・大石を投げ落とすような高い城柵がある(日本外史)

日本外史133頁 城塀に鈎縄手を投げかけて躍り入ろうとする所に、城中よりかねてより用意していた大木・大石を投げ下ろす。…打ち殺される者数十人におよぶ。 (著者) 江刺稲瀬の「鶴脛台」には、高い崖はない。 前沢白鳥の「白鳥館」は、岩の崖の上に館跡が…

八幡太郎義家は、正任「黒沢尻」、貞任「厨川」を追い、加藤景道・荒川太郎は、則任「鶴脛・比與鳥」を追う

官軍は、二手に分かれた。 ①八幡太郎義家は、黒沢尻から厨川へ ②加藤景道・荒川太郎は、鶴脛・比與鳥へ 陸奥話記 ①正任が居る所の、黒沢尻柵を襲いてこれを抜く。… ②又鶴脛・比與鳥の二柵、同じくこれを破る。 同14日、厨川に向かう。(①) 前太平記 鳥海か…

鳥海柵に逗留してから、軍勢を黒沢尻、鶴脛・比與鳥に分けて攻める(前太平記)

黑澤尻、鶴脛、比與鳥落城の事 斯くて將軍、鳥海に逗留あつて軍勢を分かち、諸方の賊を攻めしめらる。貞任が弟四郞正任が籠りたる和賀郡黑澤尻の柵五五へは八幡殿を大將として二千五百餘騎にて差し向けらる。また鶴脛五六、比與鳥五七の二柵は五郞家任、七郞…

厨川城柵落城ののちに比與鳥・鶴脛両城を攻める(前九年後三年日本外史衍義)

「前九年後三年日本外史衍義」は国会図書館所蔵、明治19年神田民衛著作である。 133頁 まず比與鳥の城へ加藤可景道平太夫國妙兩将を向けたまう。この柵の主将は貞任の弟比與鳥七郎 総勢2800人の官軍が攻め来ると聞くよりも 今はすでに鳥海、厨川も陥りたりと…