赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

白鳥民部少輔は葛西没落後行方不明。安部外記之助の先祖が白鳥氏である可能性は?

赤荻下屋敷阿部家にきく

安部外記之助の妻が赤荻の宮田城の出身であるという。外記之介の前の代は不明であるという。

大石喜清氏にきく

白鳥少輔一族との婚姻関係はあっても、大石家が白鳥氏ではない。白鳥氏は行方知れず。安部になったはなしもきいたことはない。

当調査

安部外記之助が白鳥である史料はない。赤荻安部が一時的に、葛西家臣として赤生津東館にいたのではなく、白鳥舘にもともといたのではないか。という推測である。

赤荻下屋敷阿部家には、外記之助が使用したといわれる鎧がある。最近補修したため原型と一部違う。葛西没落まで家臣であったことから、奥州仕置きから以前に使用されたものではないか。近代まで槍などもあったという。

▼赤荻下袋屋敷の鎧。外記之助などが使用したものと思われる。

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