▼白鳥舘の西の船着き場には、波除のためテトラポット(消波ブロック)のような水制が3本見られる。
▼対岸の赤生津川には、水制用の杭と思われるものがある。
▼これはイメージ。聖牛工
【聖牛工】 牛は、棟木の長さにより、「大聖牛」、「中聖牛」等に分類されます。「地方凡例録」によれば、これらは武田信玄(1521-1573)の創案によるものとされており、また、丸太を三角錐に組み合わせた形状が双角の牛に似ていることから、「牛」と命名されたと記されています。 牛は、杭打ちの難しい砂利や玉石混じりの河床の根固めや水制に適しており、しかも、杭打ち工法よりはるかに堅牢です。また、水をはねつけるのではなく、水の勢いを利用して自らの躯体を沈める仕組みになっています。したがって、適切に配置すれば洪水にあうたびに安定度が増すことになります。 しかし、配置の仕方を間違えれば対岸の堤防を苛め、川を暴れさせることになります。「川に教わり、川をなだめる」、それがこの工法の真髄であり、『聖』の名がついたゆえんと云われています。 |
【当調査】
赤生津から白鳥舘の神楽も見えたという。天正のころ舟運の要衝地であった白鳥舘の船着き場には、防波のための「牛類」が建てられていたとすれば、対岸の地域からは牛類の館といわれても、不思議ではないのではないか。
▼北上川蛇行はおよそ1700年頃からであり、以前はまではほぼまっすぐ流れていた。船着き場も現在の舘西ではなく舘北にあったのではないか。