赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

由緒所有者は、昭和に途絶えた家「下屋敷の分家で初代安部與傳治」。4代将監三男の2代目からの分家である

 安部由緒書を所持していたのは、4代将監三男の分家でなく、将監三男の下屋敷の2代名からさらに分家した子孫で初代を「與傳治」という。盲目であったという。昭和年代に9代の壽平が家を閉じるときに、下屋敷に引き継いだものと考えられる。

ということは、由緒書きは、本家や古い分家ではだれも持っていないことになる。盲目の家で写しをとり保管していたものである。やはり、一族から由緒書は没収されたとしか考えられない。

 

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