赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

第7報に関する関係者所見

奥州市歴史遺産課担当】

白鳥邑「牛類」之舘は未見。白鳥邑には3館あるが、この名は見当たらない。(天正(1590年)のころ)当時の北上川は蛇行でなくほぼまっすぐであり、水制は必要ないのではないか。赤生津側岸の杭は土留め系図には「午類」とも見える。午類だと意味はわからない。見解を出すにはまだ早いのではないか。

 

【赤荻下屋敷安部家】

一関側では赤生津安部は親類と見ている。安部外記之介が白鳥舘にいたか、それ以前の代のことはわからない。