2021-07-07 第7報に関する関係者所見 【奥州市歴史遺産課担当】 白鳥邑「牛類」之舘は未見。白鳥邑には3館あるが、この名は見当たらない。(天正(1590年)のころ)当時の北上川は蛇行でなくほぼまっすぐであり、水制は必要ないのではないか。赤生津側岸の杭は土留め。系図には「午類」とも見える。午類だと意味はわからない。見解を出すにはまだ早いのではないか。 【赤荻下屋敷安部家】 一関側では赤生津安部は親類と見ている。安部外記之介が白鳥舘にいたか、それ以前の代のことはわからない。