赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

赤生津切支丹を墓字から探る

キリシタン墓字の研究は近年はじめられた。

キリシタン岩手県南史談会に取り上げはじめられたのが、研究紀要第15号(昭和61年)。山目円満寺檀家のキリシタンが多く、阿部随波も切支丹ではないかとという。「理解ある人々の解放資料」により証明してくれる時代も遠くいないと締めくくった。平成19年度研究紀要に「一関地方のキリシタンキリシタン墓字が掲載される。惜しくも畠山氏は令和2年に亡くなり、研究を継ぐ者は見られない。

 

赤生津のキリシタンは、岩手県史に類族人数、前沢町史に人別帳に類族の屋敷掲載がある。キリシタンの功績、事実などは知られていない。

 

赤生津 長根地内(大石家)

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岩手県南史談会研究紀要第37集(平成19年度)「一関地方のキリシタン」畠山喜一氏

「心 卍 Ⅽ(釣針状)」は切支丹墓字という。畠山氏は、切支丹殉教者の功績や慰霊に務めていきたいと研究紀要を締めくくっている(平成20年6月)。畠山氏は昨年亡くなられた。

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 赤生津の安部家以外の旧墓地2ケ所にはこの墓が存在する。赤生津には安部家以外に2家(大石家、鈴木家?)が切支丹であったと考えられる。大石家は白鳥家臣、肝入、生母村長など、鈴木家も肝入、養蚕業開拓、参議院議員などで地域に貢献してきた。

 

赤生津 長根地内

 

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赤生津 荒屋地内

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 赤生津肝入は、大石家、鈴木家が長く務めた。人別帳は鈴木家が所有しているが、前沢町史には屋敷名を伏せている。公表していない。肝入であり切支丹であった可能性がある。

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