安倍氏シンポジウム95
43 角塚古墳 胆沢南都田
掃部長者の詩によれば鬼蛇が改心得度して残した角を埋めたので角塚という名が生まれたと云う。アイヌ語でエサバとは酋長の居る所を意味することから、酋長の墓だともいわれ、国の重要文化財である。安倍頼良、貞任らが崇拝して保護保全につとめたとすれば、6,7世紀の記録に安倍到東か、安倍安東の子孫が巌鷲山南部の数ヶ所に移住していたとあるから、それにゆかりのある古墳ではないだろうかとも伝われる。
胆沢町史Ⅲ 23
高山社
掃部長者
「高山殿の妻の化身大蛇」を葬り・・・
ここで云う大蛇は角塚古墳でも同素をもっており、大蛇はこの地方出身の在地権者で中央政府に順応するいわゆる蛇のような紐付きでなかったかと考えさせられる。・・・『胆沢風土聞誌』には「掃部長者と号す邸跡にて寺地内外に土を掘ると焼穀が出土し、この寺の東北(?)には古墳が見られる」とある。この古墳こそ前期の化身大蛇の古墳でなかろうか。大蛇即ち駅家の副長古墳であろう。駅長(長者)は官人で副駅長は在地権者(妻)でなかったかと考えられる。
注 心月寺は上葉場にあり稲荷山と号す。往昔此地に富家あり掃部介といふ。貨財米穀庫■り、一夕火災にかかり其家宅をはじめ米穀貨財悉く焦尽せり。・・・掃部介妻性貧婪(むさぼり)にして嫉妬深し。或日怒気の余り家を出て近里の泉水を飲しに、忽(たちまち)鬼蛇と変じて郷里に仇をなしたれば、郷党是を怖れ、年毎に美婦一人を以て牲に備えり。又寺中に牙骨を蔵む。・・・(胆沢風土記)
掃部長者とは
〔著者〕朝廷側の役人が、税金を厳しく取り立て、あるいは、反抗するため放火され、豪族安倍氏の祖先が怒り、胆沢川から引く水路の水を止め、また、あふれさせ反抗したとも読める。
「止止井沼」
史跡角塚古墳保存計画書 26 大12図
※角塚古墳、四ツ柱周辺の湿地帯を「止止井沼」と推定
伝説が語る蛇退治は、湿地(蛇)を克服(退治)し水田化していった、この地の稲作の歴史を現代に伝えているともいえる。
〔著者〕大蛇は、「止止井沼」に潜み、人さらいをしたという。いけにえとして差し出した娘の法華経の功徳により大蛇は消え去るとある。法華経がきっかけで、祟りが収束したとも見れるのでは。
仙台叢書のうじんあいしゃろく 436
比浦柵迹 都鳥村
往昔安倍頼時が。六男比浦六郎家任。所住の節築き構えたる館なり。世人都鳥館と云。故に都鳥六郎とも云えり。前九年の合戦に敗北して。源家へ降参すると在り。
〔著者〕
安倍家任が、現在の南都田の都鳥舘にいたというのは、偶然ではないと思われる。この都鳥舘は、角塚近くの止止神社跡といわれる。
胆沢郡式内社(小)跡地で、延喜式内社 止止井神社跡延喜式内社は、国から認められた官社のことである。
また、家任や貞任の兄の井殿の後裔には、掃部長者伝説がある。神楽にも、うたわれる。