赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

2021-07-23から1日間の記事一覧

荻荘家の由来「藤原泰衡の子良衡」。照井高泰と荘園内の水利を興す

【照井土地改良区小誌・13】 荻荘荘司について 荻荘家の先祖は藤原泰衡の子良衡であります。 平泉藤原氏が文治5年(1190)源頼朝の大軍に攻められたとき、秀衡の子万寿丸(2歳)は祖母徳子(秀衡の妻)母頼子と共に僧助光坊の計らいに依り須川嶽を超え鎧谷頼…

荻荘家と照井家は2度(1208年・1493年)共同して照井堰を開削

【幾星霜 照井土地改良区 474】 〇1208年(承元2) 照井高泰・荻荘荘司と共に磐井川両岸に穴堰開鑿し、山目境まで掘鑿 〇1493年(明応2) 照井高安(高直?)、荻荘荘司と相謀り私費にて磐井川両岸に穴堰を通し、山目、一関方面へ導水、右岸を南照井堰、左岸…

白鳥村照井之舘にいた「照井太郎高春」の照井堰とは

【幾星霜 照井土地改良区・98】 【いわての農業にまつわる物語「照井堰と弁慶」・岩手県農林水産部】

新たな仮説「1481年の 照井太郎隆定(又は子)が安倍外記之介」?

【当調査】 1158年、赤荻・荻荘系図に「佐沼城(登米郡)城主 安倍外記之介」。照井高直(照井子孫)は佐沼城に居住で征伐の難を避け照井堰を開削に来た。1300年代は消息不明。 1481年、照井忠基の後裔が平泉に戻る。1493年には荻荘と共に開削。その後の消息…

白鳥村照井舘は、「照井太郎孝治(1100年代)」の居館、墓は「照井神社(一関市中里)」

【水土里ネットてるい】「照井堰とそれを完成させて照井太郎のお話」 〇照井太郎高春のお墓 ・一関市中里字照井地内にある「照井神社」の五輪塔 ・五輪塔は平安時代の特徴的なお墓である。 〇照井太郎高春の住んでいたところ ・照井太郎高春の住まいは照井館…