赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

新たな赤荻安部家・赤生津安部家系図

 

f:id:zyuurouzaemon:20210702203325p:plain

 赤荻下屋敷系図覚書の安部左近の子孫は「赤生津安倍」とある。

赤生津安部系図の初代は「安倍肥前」、2代目安部市良左衛門。御百姓書出では初代安部十郎左衛門となる。

葛西没落前は、安倍氏を名乗り、天正18年(1590)から安部。さらに赤荻下袋屋敷は、帰農した5代目から安部から阿部に変わる。奥州仕置き後は、弾圧や詮索から逃れるための改姓や改名が多いと考えられる。

天正18年奥州仕置きでは「葛西の臣ら居館を脱出して沈淪、漂白して民間に隠れる(諸家譜)」とある。