下屋敷から発見された由緒は3種類あり。古い順に
①「安倍家系図」から書き出しがはじまる系図・・・由緒と初代から2代目まで
②「磐井郡東山」からはじまる系図・・・由緒と初代から5代目まで
③「磐井郡東山」からはじまる系図・・・由緒と初代から5代までと、浪都座頭下家舗元祖から6代まで
白鳥邑の館名は古い系図には次のとおり記載
①白鳥邑手類之舘
②白鳥邑午類之舘
③白鳥邑午類之舘(「手」と後から訂正もあり)
1次資料は、3点の資料のうち一番古い「白鳥邑手類之舘」
「手類之舘」であり、てるいと読み、「白鳥邑 照井館」ではないかと教えていただきました。
【照井館とは】
同じ白鳥村にあり白鳥舘から西に3キロほどで、高台にあるところ。照井氏追善供養碑もあるという(仙台領内古城・館)。
岩手県史4・21 城館主名には次のとおり
白鳥
白鳥城址(鵜ノ木)白鳥八郎行任のち白鳥治部少輔、天正中まで、のち天正中佐藤豊後岩淵伊賀、天文三田主計白鳥八郎、小野寺入道某(柏山伊勢守良従)照井館(太郎高晴 新城館 熊谷直胤一万一1千刈加賜)
【照井氏の供養塔 昭和5年造立 】
供養塔は水田わきにあり倒れている。
花巻居住の後裔の追善塔という(本平次男「束稲の唄)。