「伊達世臣家譜」阿倍 (岩手県南史談会 研究紀要資料集(その二)復刊紀要119頁 阿倍隋波と仙台藩の庶民知行 及川大渓)
姓は藤原、阿倍大学の次男讃岐を祖とする。その祖小次郎重綱(※1)というもの、葛西氏に仕えて天正の頃磐井郡赤生津に居り、五千刈の地を領し、天正十六年気仙の浜田安房守広綱の叛に当たり、戦功を立てて葛西晴信から感状をうけた。葛西氏滅ぶや、阿倍大学も流亡、ことにその嫡流は跡も詳でないが、次男讃岐は磐井郡赤荻に住み、その子を九左衛門重直(※2)と称した(伊達世臣家譜 東藩史稿(※3))
※1「その祖小次郎重綱」(左近)とあり、大学の父と理解される系図が存在する。赤荻下袋屋敷系図には小次郎(左近)は大学の弟とあり、当調査でも下袋屋敷の初代外記之介から3代大学までの戒名や没年を確認していることから、葛西氏家臣団事典9頁「阿部氏系図」における「大学の父を小次郎とする表記」は、兄弟に修正されなければならない。葛西晴信感状は赤生津住人の小次郎がうけた。
※2「伊達世臣家譜」阿倍には「讃岐子九左衛門重直、重直子小平治老號隋波重貞……」とある。山目銅台町屋敷3代の阿部隋波が仙台藩士となり伊達世臣家譜に掲載となる。
※3「東藩史稿」(1915年 作並清亮 編)
【赤荻下袋屋敷安部家系図】
1外記之介
2上野
3大学 →(弟)小次郎
4豊前 →(弟)讃岐↓
5太郎兵衛
【山目銅台町屋敷阿部家系図】
1讃岐 清右ェ門(赤荻村田主後山目村)
2九左ェ門(重直)
4勘左衛門(小平治重頼)
5小平治稠賀
6勘左衛門尚幼
「伊達世臣家譜」勘左衛門が、安永年間(1772~1781)に仙台藩に提出
なぜ「姓は藤原」か
平成12年度研究紀要第30集により平泉藤原泰衡の子孫である「赤荻・荻荘系譜」が公表された。藤原泰衡の嫡男は「良親」といい、荻荘氏家号の祖である。この系譜によると16代正綱の娘鶴子が「安部外記之介」と婚姻関係にあり、さらには、19代良久と「安部外記之介の孫大学の妹政子」と婚姻関係にある。「伊達世臣家譜」における阿倍氏が藤原姓を称する由来と考えられる。