赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

小次郎宛晴信感状は、仙台藩士「阿部隋波」系統が所蔵していた⁉

 

 

奥州市歴史遺産課 高橋氏】

仙台藩士阿倍家が所蔵している旨が「伊達世臣家譜」阿倍に書かれてあるという。(※ご教示ありがとうございます)

 

「伊達世臣家譜」阿倍 

「葛西晴信賜感状、今蔵ニ干稠賀之家」とある。山目村の阿倍6代稠賀が所蔵とある。

 

仙台藩士なので、普通は普段は仙台に住んでいるのではないか。仙台藩士の知行地は飛び地的に藩内各地にあるので、山目村だけに限定することは難しいのではないか。」

 

1讃岐(赤荻村田主後山目村)

2九左衛門重直 -1684

3小平治重貞 隋波 …仙台藩士 1619-1691

4小平治重頼 1661-1757

5勘左衛門増賀 

  伊達世臣家譜を安永年間(1772-1781)仙台藩に提出

6小平治稠賀 … 小次郎感状所蔵

7勘左衛門尚幼

 

【阿部随波考証 20】 

阿部小平治のあと

しかしその後は裔の栄華は永く続かず次第にその邸宅を処分し、竜沢寺過去帳の最後の人は茶畑の鈴木玄竜の隣に居り、法名にも放遊院云云と記されている。その後の人は、仙台の大仏前に、前掘の家宅を写し、その子孫は明治に及び、明治初年に阿部隼太という人が居たことがわかっている。

 

岩手県史3・108】

嫡家は赤荻に帰農した

 

【著者】

なぜ、小次郎の甥の孫「隋波」が小次郎感状を所蔵していたのか。赤生津になく、本家の赤荻下袋屋敷にもなく、なぜ違う分家が持っていたのか?石巻市の葛西晴信偽文書の問題が関係しているのか?晴信感状は、葛西没落後のちに発行されたともいう。