赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

赤生津初代肥前の愛宕堂付近聞き取りメモ

 

 

【赤生津初代肥前愛宕堂】

畑屋敷北側の祠付近に、安部本家から分家し住んでいた人があり、愛宕堂付近に移住したが、日当たりが悪く?、現鈴木家の南側に移住した(山ノ神屋敷万王氏)。

愛宕堂付近墓地】

青木地内の愛宕堂あとの北東に数十メートルに、旧墓地がある。現在参拝に来るのは安部家一人というが、途絶えた「曽利家舗」、前畑家舗の先祖、本家から分家した上記の屋敷の墓地ではないか?(山ノ神屋敷万王氏)

前畑屋敷 安部九郎左衛門妻の墓がある。この墓地には2mほどの墓石が横たわっている。誰の墓であるか不明。この大きな墓石は初代肥前のものであろうか? 周辺の安部家2軒が途絶えようとしており、知るものが少ない。

この墓地は、入り口が分かりにくい、鈴木家の庭から入らなければならない。鈴木家も墓の存在をあまり知らない。墓地周辺は木々に囲まれている。東側には小川ではなく、堀のようなものが見られる。墓地であるが住宅地図には表記されていない。一部には魂抜きをした墓が積み重なっている。

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【照井舘】

照井舘あとの水田南側所有者は白鳥小林氏、北側は平泉高橋氏。土地所有者は複数名あるらしい。(平泉高橋氏)