赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

安倍一族の亡魂を救った衣川の剣舞

 

 

 

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川西念仏剣舞は、北上和賀地方に伝わる同種の鬼剣舞に比べ、念仏によって衆生を済度する意識がより強く、盆や中尊寺の施餓鬼法会などの際に、精霊供養として踊られてきた。伝承によると、藤原清衡の治世に、安倍一族の亡魂が夜ごと現れ人心を乱したので、清衡が亡魂済度の祈祷をしたところ、1匹の猿がモノノケの中に交じり、調子よく念仏踊りを舞いながら亡霊を浄土に導き成仏させたことに始まるという。舞人はもともと十三仏をかたどって13人だったが、現在では、忿怒面を掛けたイカモノ(亡魂)6人、サルコ(仏の化身)1人、ワカド(女の亡魂)1人の計8人で踊るのが基本。ただし演目によっては、1〜13人で踊る。装束は、岩崎(北上市和賀町)や南都田(旧胆沢町)の毛ザイに対して鳥ザイ、ストーリーは大念仏剣舞(本剣舞)を重視した、サルコによってイカモノが救われるものになっている。また鬼剣舞には、念仏によって衆生を救う要素と、反閇(へんばい:大地を踏み固めるしぐさ)によって悪魔を退散させる要素があるが、岩崎などが修験的要素が強い反閇を重視するのに対して、川西では浄土信仰的な要素の強い念仏を強調している。

 

鬼剣舞「川西大念仏剣舞」-国指定・重要無形民俗文化財 (sakura.ne.jp)