赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

43演目のうち「御神楽」のみ残る「赤生津神楽(市指定無形文化財)」

昭和戦前まで、ヤマタノオロチの演目があったという神楽。この御神楽と関係があったと考えられています。

 

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9295.pdf (city.oshu.iwate.jp)

 口伝によれば、文政年間(1820年代)、面彫師民三郎と米蔵とが南部神楽を習得し、山神舞・八幡舞・翁舞等を踊ったのが始まりとされています。その後、明治中期に胆沢区の狼ヶ志田神楽を伝授され、大正10年(1921)には、衣川の富田神楽(廃絶)から「渡り拍子」を教えられて今日に至っています。昭和60年代に入り、一時衰退しましたが、平成19年に再興しました。
 台本等で伝承されてきた演目は43演目に及びますが、現在上演できるのは、御神楽のみとなっています。