昭和戦前まで、ヤマタノオロチの演目があったという神楽。この御神楽と関係があったと考えられています。
口伝によれば、文政年間(1820年代)、面彫師民三郎と米蔵とが南部神楽を習得し、山神舞・八幡舞・翁舞等を踊ったのが始まりとされています。その後、明治中期に胆沢区の狼ヶ志田神楽を伝授され、大正10年(1921)には、衣川の富田神楽(廃絶)から「渡り拍子」を教えられて今日に至っています。昭和60年代に入り、一時衰退しましたが、平成19年に再興しました。
台本等で伝承されてきた演目は43演目に及びますが、現在上演できるのは、御神楽のみとなっています。