赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

2021-07-17から1日間の記事一覧

「白鳥八郎行任」は白鳥舘に「白鳥七郎則任」は津軽に逃げ白鳥へ?

【前沢町郷土史史料・3】 〇白鳥舘(白鳥村風土記) 本丸 南北42間 東西14間 二丸 南北50間 東西14間 三丸 南北38間 東西14間 右城主往古阿部頼時の八男白鳥八郎行任と申伝候、其後白鳥治部少輔と申御方天正中御住居之由申候 〇山城白鳥城(仙台古城書上) …

照井舘主の子孫照井高安は、荻荘荘司(藤原泰衡子孫で赤荻安部の親戚?)と照井堰を完成させた?

【照井土地改良区の概要】http://www.terui1170.com/category7/ 当時、干魃や飢饉で苦しみ悩まされ続けた村々の窮地を救うために立ち上がったのが、鎮守府軍藤原秀衡公の家臣で普請奉行であった照井太郎高春である。その高春の企画により、五串の滝(天然記…

「照井館(太郎高晴 新城館 熊谷直胤一万一1千刈加賜)」の新城館とは?熊谷直胤?

白鳥村の新城は、地方史では館主不明である。熊谷直胤氏が、住することなく葛西氏から土地を拝領したのみではないか。 【前沢町郷土史史料】 〇新城(白鳥村風土記) 南北50間 東西14間 古城主年月日相知不申候 【前沢町史】 位置 前沢町白鳥字新城 国道4号…

照井館「太郎高晴(1189)」は、代々照井堰を開削した家系。現在の堰は「世界かんがい施設遺産」に。1500年頃は白鳥郷主ともある

【当調査】 照井氏は、初代高春(1189)から数代まで白鳥への開堰にあたり、一関の照井堰の開堰へと移っていったのではないか。照井館の館主は初代の高春だけである。館には子孫が住んでいたか。 岩手県史には、白鳥邑「照井舘」館主に「照井太郎高春」とあ…