赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

「照井館(太郎高晴 新城館 熊谷直胤一万一1千刈加賜)」の新城館とは?熊谷直胤?

白鳥村の新城は、地方史では館主不明である。熊谷直胤氏が、住することなく葛西氏から土地を拝領したのみではないか。

 

前沢町郷土史史料】

〇新城(白鳥村風土記

 南北50間 東西14間  古城主年月日相知不申候

前沢町史】

位置 前沢町白鳥字新城

国道4号線が南に白鳥の坂を上る中頃、この道の西方新城ヶ沢の台地上に、この城が在ったが、東北本線の複線小路の土取り場として、この城の山が削りとられ、また東北自動車小路で、昔の面影はない。

風土記に、「新城南北50間、東西34間、右城主並年代不明、今は林となっている」とあって、歴史的事実を知る由もない。

 

〇熊谷直胤

(熊谷直胤に関するネットから情報)

http://kasaikiyoshige1219.livedoor.blog/archives/18732919.html

「熊谷家系譜」によると永享十一(1439)年六月、大崎氏との佐沼での合戦に出陣した熊谷直胤は、軍功によって葛西持信より「白鳥郷の蒼田一万二千苅」を拝領したと記されています。

中館熊谷氏の系図によればこの年(天文8年(1539))は、元良郡中館館主(気仙沼市月立字表松川)中館熊谷上総介直胤の長男肥後守直豊の次男下野守直元に長男直徳が誕生します。