赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」その妻「列女」を顕彰する

2022-01-10から1日間の記事一覧

束稲山麓養蚕の発祥地。赤生図遊水地は1753から桑畑、養蚕で発達。舟運から鉄道に変わり衰退、昭和30年代に開田

桑畑は北上川の洪水に強く、砂地に適していた。桑の質がよく、繭の生糸の質もよい。伊達藩との取引があった。束稲山麓の養蚕の発祥地である。 ▼前沢町史 安部万王氏所蔵の養蚕に関する古文書

赤生津開田(北上川蛇行の遊水地)

▼生母吉田 及川照男氏 昭和30年まで一帯は桑畑。水田は県道を境に東側にあった。桑畑では二毛作がある。桑の下に小麦をまく。麦の間に豆と小豆。桑畑は洪水に強い。 昭和30年以降に現在の開田となる。水田には大桜(前沢地区)の人も通う。 ▼東舘西道路沿い…

赤生津神楽「ヤマタノオロチ」

▼生母青木 及川照男氏 昔小学生のころ一度だけ神楽演目で「ヤマタノオロチ」を見た。吉田の八幡神社だった。布袋に糠をつめヘビに見立て、面をつけた。安部万王さんのちち貞美さんが、横たわり手足を使って5mほどの大蛇を躍らせた。血を吐き出す場面では糠…

赤生津の行山流獅子踊り(戦前まで)

▼生母吉田 及川照男氏(S10年生) 戦前で小学生のころ月山神社などの祭典で3,4人で獅子踊りをしているのを見た。鈴木とらのすけ(新地)、安部寿平(長根)、初貝ゆうすけ(斎田)が教えていた。小山から教えられ免許皆伝を受けた。戦後食糧難で、獅子踊り…

束稲山麓世界農業遺産登録に向けて資料① 赤生津7軒から59年後の1698年赤生津図

▼赤生津図(生母吉田 及川照男氏所蔵) 元禄11年10月(1698) 生江昭内(あおえ しょうない) (右説明)道幅3分1町の道筋・・・ (下説明)この道前沢へ出 渡り船 川幅3町17分 赤生津7軒(1639年)とその分家が描かれている。宿屋敷大石家、畑屋敷安部家な…